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歴史探偵で特集したのは皇帝ネロの黄金宮殿だった

昨日の歴史探偵で特集したのは、皇帝ネロの黄金宮殿でした。

世界遺産に指定されているコロッセオの場所にはかつて、起源64年に建設された黄金宮殿が立っていました。

日本では弥生時代にあたります。

皇帝のネロは16歳で即位し、母や弟を弑しました。

キリスト教徒を火炙りにしたと言う逸話があります。

暴君として名高いですが、革新的な指導者だったと明らかになりつつあります。

皇帝ネロの黄金宮殿

起源64年に建設された黄金宮殿の発掘調査では、150以上の部屋、壁画も見つかっています。

修復総合責任者のマリア・バルトーリさんによると、至高とされるのが八角のホールで、床から上にいくにしたがってドーム状に変化しています。

驚嘆すべきは、2000年前に造られてから崩れていないことです。

ローマ近郊のヴェスヴィオ火山からは、ポッツォラーナと言う火山灰が産出し、水や石灰などを混ぜると強さと耐久性に優れたコンクリートとなります。

職人たちはコンクリートを建築資材として利用していました。

さらに小部屋の上部に窓が設けられ、陽光が降り注ぐことで内部を照らします。

上階から水が流れる人工の滝もあり、夏至の日、太陽光が滝を照らすように緻密に計算されていました。

光の演出を巧みに利用した上、貴重な色つきの大理石もふんだんに使われていました。

佐藤二朗さんは皇帝ネロの時代に建てられた黄金宮殿について、

「財力にものを言わせた建築物と思っていたが浅慮だった」

と話しました。

芳賀京子教授は、

「絵画を手掛けた画家、建築家もトップレベルだった」

などと説明しました。

また、黄金宮殿の天井には穴が穿たれ、ルネサンス時代、忍び込むために利用されました。

宮殿内は土砂で埋まり、床が高かったことから緻密な天井画を間近で観察することができ、美術家たちが忍び込んだそうです。

その中の1人がラファエロ・サンティで、古代美術の研究に熱心だったとされます。

黄金宮殿 回転する食事室

黄金宮殿には回転する食事室があったとされていて、発掘調査で、煉瓦で覆われた高さ20mの巨塔が見つかりました。

考古学者のフランソワーズ・ヴィルデュさんによると、巨塔上部の床に空けた穴に金属製の球を設置していました。

その上に木製の床板を乗せ、球が滑って床が回転します。

塔の内部には複数の歯車による装置が取り付けられ、水力が動力でした。

床の上に屋根付きの食事室があったと考えられます。

しかし、2022年、八角の間の天井が回転したという新説が発表されました。

八角の間には、滝をもうけるために水路があり、水力で動いていました。

芳賀京子教授は、

「緻密な仕掛けで招待客を喜ばせたと考えられる皇帝ネロをエンターテイナーを評する。ローマ帝国にはギリシャ、エジプトから高度な技術者がやってきた」

と話しました。

また、黄金宮殿では発掘調査が進むなか、世界遺産のコロッセオにほど近い、フォロ・ロマーノからも宮殿の一部が見つかりました。

フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノはローマ市民の広場と言う意味で、国会議事堂、裁判所にあたる施設が集まっていました。

地下で黄金宮殿の一部が発見され、皇帝ネロは大火で焼失したローマを大改造しようとしていました。

起源64年、ローマは大火事に見舞われ、町の約3分の2が焼失しました。

皇帝ネロは耐火性のある町に作り変えようとし、黄金宮殿に備えられた巨大な湖は貯水池の機能を果たし、防火帯とその導線も用意していました。

芳賀教授は、

「ローマでは家々が細かく、道は細く、天井やバルコニーには木材が使われていたことから、火災が起きれば容易に延焼してしまった」

などと説明しました。

皇帝ネロは残虐非道な一面がありましたが、火災に強い街づくりを目指すなど賢帝の要素も備えていました。

ローマの大火

歴史家スエトニウスは著作で、ローマに火を放ったのは皇帝ネロと記していますが、皇帝ネロと同時代の歴史家によると、皇帝ネロはローマから遠く離れた別荘にいました。

急報を知るとローマへと戻り、被災者のために神殿や公共施設、庭園を開放したとされています。

そんな皇帝ネロは都市改造にあたって貴族たちの土地を利用し、資金集めの多額の寄付を強要しました。

一方、ギリシャで開かれた古代オリンピックに参加するなど、文化を重視していました。

しかし、皇帝を補佐する元老院からは認められず、各地で反乱も勃発しました。

小麦の産地だったアフリカでは司令官が輸送船の出港を禁じ、民衆の支持も失っていきました。

皇帝ネロは自死し、30歳の若さで生涯を閉じました。

皇帝ネロの功績は、後の皇帝たちによって徹底的に消されることとなり、歴史書にはありもしない姿が刻まれました。

芳賀教授は、

「ローマ皇帝とは市民の中の第一人者という立場で、元老院の意見は聞かなくてはいけなかった。ネロは根回しして、落とし所を探す、そういう妥協をしなかったと思う」

などと語りました。

Twitterでの歴史探偵で特集した皇帝ネロへの反応

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