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歴史探偵で鉄道開業150年を特集していました

歴史探偵で鉄道開業150年を特集していました。

調査を担当した近田雄一アナウンサーは鉄道好きで、ジオラマセットに自身が所有するブルートレインあけぼのを走らせているそうです。

鉄道が開業したのは1872年で、新橋~横浜を53分で走行したそうです。

徒歩であれば10時間、人力車であれば半日かかったと言われています。

佐藤二朗さんは、用意された地図から新橋~品川の線路が海の上に敷設されているのではないかと疑問を呈していました。

山手線高輪ゲートウェイ駅近くで見つかった石垣

山手線の高輪ゲートウェイ駅近くには線路、車両基地がありました。

新たな駅を作るために線路を撤去したところ、高さ4mの石垣が見つかりました。

開業当時の鉄道遺構とされ、かつては石垣の上に堤が設けられ、鉄道が走行していました。

石垣の他にも杭が出土し、石垣が崩落するのを防いだり、海底の地盤を固めたりするものだったようです。

また、見つかった当時のレールはイギリスから輸入したもので、機関車なども頼っていたそうです。

人工の島である台場を作った技術

幕末、黒船を迎撃するためにつくられた人工の島、台場では、当時の石垣が今もその姿を残していて、横揺れに対応した積み方、布積みは高輪築堤のものと同じです。

台場の設計図によると、石垣を囲むように杭が設置されていました。

これらは、日本最初の鉄道に生かされていました。

河合敦さんによると、台場の建設に関わった人々は高輪築堤にも参加していたそうです。

また、石垣の強度を増すためにセメントの代替案として、耐水性のある漆喰が採用されていました。

日本の近代化に不可欠とされた鉄道

伊藤博文、大隈重信は、財務担当の役人時代、鉄道が日本の近代化に不可欠だと考えていました。

大隈重信は佐賀藩出身で、西洋技術を積極的に取り入れ、蒸気機関車の模型を作っていました。

また、伊藤博文はイギリスに留学経験があり、1869年10月に太政官へ鉄道建設の建議書を提出していました。

当時は飢饉が発生し、物資を供給する必要性もあったことなどから、同年11月に国は鉄道計画を正式に決定しました。

しかし、西郷隆盛は近代化に必要なのは軍備であると主張した上、資金不足も露呈しました。

大隈重信らは国債を発行して予算確保を図り、イギリスに多額の借金をすることを決断します。

加えて計画を縮小し、新橋~横浜を結ぶことにしました。

台場の技術を活かした鉄道建設

軍に関する史料によると、鉄道建設予定地には軍の土地があり、兵部省は譲れないとしていました。

また、人家が密集し、寺社もあったことから、大隈重信は台場の技術を活かして、海の上に堤防を築いて線路を敷設するほうが時間もコストも節約できると考えました。

河合敦さんによると、大隈重信の出身である佐賀藩は、長崎湾に台場を築き、藩士たちは江戸の台場造りにも参加していたそうです。

明治5年、鉄道開業式があり、鉄道を走行させましたが、三号車には明治天皇、四号車には西郷隆盛、大隈重信が乗っていたそうです。

大久保利通は、西郷隆盛と同じく鉄道建設反対派でしたが、試乗の際に感激したとされています。

鉄道博物館

鉄道博物館には、150年前の鉄道開業当時走行していた蒸気機関車が展示されています。

イギリスから輸入したものですが、性能が悪く、改良が加えられたことから、当初の姿とは異なるそうですが、写真が残されていました。

60年以上に渡って鉄道を研究する西城浩志さんは、2012年にオーストリアで発見された写真を見せてくれ、1872年当時のものに客車が写っていました。

車輪の上の板バネでランクが決まる

車輪の上に板バネがあり、揺れを吸収する役割がありましたが、長いほど揺れは少なくなるそうです。

そして、長いほど、その客車はハイランクだったそうです。

調査結果をもとに、アメリカ人の建築家が設計した新橋停車場、開業当時に走行していた列車、格子扉がついた客車などをCG再現しました。

鉄道開業当時の様子

鉄道の開業当時、新橋から横浜まで一等だと運賃は1万5千円だったそうです。

明治後期の一等車には、革張りの椅子が設けられ、乗客は下駄を脱いで座っていました。

河合さんは、明治5年に撮影された横浜駅の写真に着目し、数多くの外国の船舶が港に停泊していたことから、当時の日本人が抱いていたと思われる緊張感が伝わってくるそうです。

人気となった川崎駅

鉄道の開通により、元日から三が日にかけて川崎大師へお参りに行くという人々が増え、川崎駅は人気となったそうです。

明治時代、正月の三が日は休日になったことで人気を博したのだそうです。

近代化を一気に進めた鉄道の開通

河合敦さんによると、季節によって日没時間が違うなか、鉄道の運行に際しては、西洋の24時間制を導入したそうです。

近代化の推進力となった他、初詣という風習の定着、時間の捉え方を変えた鉄道の凄さに佐藤二朗さんは唸り、近田アナウンサーは

「そして150年後にこうした鉄オタが生まれる」

と語りました。

Twitterでの歴史探偵で特集した鉄道開業150年への反応

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