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チコちゃんに叱られるは駅伝と初詣と鼻水と紅白幕だった

チコちゃんに叱られるは駅伝誕生秘話と初詣の謎、そして鼻水の不思議と紅白幕でした。

駅伝ってそもそもなに?

駅伝は、新聞記者が経営危機を救うために開いたハチャメチャなイベントでした。

駅伝は日本発祥の競技です。

1917年に開催された東京奠都五十年奉祝博覧会を盛り上げるイベントとして行われた読売新聞社主催の東海道駅伝徒歩競争が駅伝の始まりです。

1912年、日本が初めてストックホルムオリンピックに参加したことで朝日新聞社は、現在の夏の甲子園である全国中等学校優勝野球大会を開催しました。

毎日新聞社は、全国規模の水泳大会と大規模なスポーツイベントに力を入れ始めていました。

当時の読売新聞社の発行部数は3万部程度で、経営危機に陥っていました。

江戸時代の飛脚を参考に東海道五十三次をマラソンで走ることを閃いた土岐と大村は実現に動き出します。

このイベントを後押ししたのが当時の外務大臣で、父が読売新聞創業者の一人だった本野一郎です。

この時点ではまだ駅伝という言葉はありませんでした。

駅伝の名付け親は、大日本体育協会の副会長の武田千代三郎です。

宿場で馬を乗り継いで公用をこなしていた

「宿駅伝馬制」

から駅伝と名付けられました。

1917年3月1日の読売新聞の紙面で

「駅伝」

と言う言葉が初めて使われました。

ところがイベントが終わるととんでもない予算オーバーで大赤字でした。

土岐善麿は責任を追及され、読売新聞社を退社しましたが翌年に朝日新聞社に入社したそうです。

初詣に行くようになったのはなぜ?

一斉に初詣に行くようになったのは、京急電鉄の戦略でした。

江戸時代になるまでの新年のお参りは、別々の近所の決まった場所に行くのが一般的でした。

徳川家康が七福神めぐりによって願いが叶うと広めたことで、遠くの神社にも足を運ぶようになりました。

江戸時代中期には、恵方参りも流行しました。

明治5年に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通し、列車に乗って川崎大師にお参りに行くことが流行しました。

これに目をつけた京急電鉄創業者の立川勇次郎が、川崎駅から川崎大師までのわずか2kmの大師電気鉄道を開業しました。

開業から5年後、今度は政府が運営する官設鉄道の路線に並行するように、品川から神奈川への路線を開業し、熾烈な客の奪い合いが勃発しました。

官設鉄道のように速くすることも安くすることもできず、乗客の増える恵方も毎年は来ないため立川勇次郎は、

「三が日に川崎大師にお参りする」

という意味の

「初詣(はつまいり)」

を広告で大々的にアピールしました。

当時の人々にとって鉄道に乗ることは特別なイベントであり、三が日に乗ることでご利益も授かれるというこの戦略がハマりました。

西宮神社がある阪神電車なども

「はつまいり」

の言葉を広告に使用し、その後

「はつもうで」

と言う呼び方に変化していきました。

この時の影響か、今でも初詣の参拝者数ランキングは川崎大師や成田山新勝寺など都市の中心部から離れた場所が多くランクインしています。

鼻水ってなに?

鼻水がないと人は死ぬそうです。

鼻の機能に詳しい石井先生が教えてくれました。

鼻の中にある鼻甲介という襞が何かしらの刺激を受けると鼻粘液を分泌し、鼻水となって外に出てくるそうです。

鼻水がなくなるといろいろな病気を引き起こし、最終的には死に至ります。

鼻水は、

「熱い空気を体温に近い温度まで下げる」

と言う効果があります。

鼻水がない状態で熱い空気が体内に入ると、気道や肺がダメージを受け、呼吸困難を引き起こす可能性があります。

辛いものだと、より多くの鼻水が出ます。

また、

「冷たく乾燥した空気に潤いを与える」

と言う効果もあります。

乾燥した空気が肺の中に入ると、体内の細胞が破壊されてウイルスが増殖します。

長時間寒い場所にいると、鼻水は出続け、鼻甲介は膨らみ続け、鼻詰まりとなります。

500mlのペットボトルを脇に挟むだけで鼻詰まりを解消することができます。

脇の皮膚の中には鼻甲介の血管を収縮させる交感神経が走っています。

この交感神経に刺激を与えることで鼻甲介の腫れを引かせることができます。

さらに鼻水には

「体内に侵入した異物を外に出す」

と言う効果があります。

また、体内にある線毛が鼻水とウイルスを喉の奥へ流し、胃液で殺菌すると言うことも行われています。

また、鼻甲介が刺激を受けると、鼻水の他にくしゃみが出ますが、これによってもウイルスは体外に出ていきます。

紅白幕がおめでたいのはなぜ?

紅白幕がおめでたいは、白黒幕がおめでたくなくなったからでした。

東大の本郷教授が解説しました。

白黒幕の正式名称は

「鯨幕」

です。

背中が黒く、お腹が白いクジラの見た目からその名がついたとされます。

鯨幕は、江戸時代中期の1800年頃に誕生したと言われます。

大阪の住吉大社や伊勢神宮では神事の際に用いられ、天皇が国家と国民の平和と繁栄を祈る宮中祭祀でも鯨幕が使用されています。

江戸時代の日本人にとって鯨幕は

「神聖な場所」

を表すものでしたが、明治4年に政府は洋服に変えて国の力を強めようと発表しました。

それまでの日本では喪服は白一色でしたが、洋服が普及したことで、西洋にならって黒い服を着て亡くなった人を見送る文化が定着しました。

昭和初期になると民間の葬儀会社が白黒の鯨幕をお葬式で使うようになり、おめでたい席では鯨幕の黒い部分を赤に変えた紅白幕が使用されるようになりました。

  • 赤になった理由は諸説あり、
  • 紅白まんじゅうの配色にならった
  • 紅白同人咲く梅から採った
  • 歌舞伎で使用されている横向きの紅白幕の段幕を参考にした

などがあります。

本郷教授は、

「美味しいとの理由で紅白まんじゅう説」

を推しました。

Twitterでのチコちゃんに叱られるへの反応

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