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京コトはじめで特集してた枯山水と近代建築が気になる

今日の京コトはじめで特集してた枯山水と近代建築が気になりました。

石や白砂で表す自然枯山水

京都で枯山水の様式が確立したのが16世紀です。

その時代を代表するのが大徳寺塔頭大仙院です。

枯山水が本堂を取り囲み、壮大な景色が構築されています。

庭の北東部にあるのが深山幽谷を現す石組みです。

渓流の滝、川の流れなどが表現されています。

本堂の前には2つの盛り砂がありますが、佛の教えに導かれ現世の迷いから解き放たれた境地を現すとされます。

作庭家の重森千靑さんによると、枯山水は室町時代後期に禅寺で作られるようになったとされますが、平安時代にはすでに枯山水という言葉が出てきました。

平安時代は技法のようなものでしたが、庭全体を枯山水と指すようになったのが、応仁の乱以降です。

禅の修行の庭枯山水

室町時代初期創建の天龍寺の開山は、夢窓疎石で禅の教えを日本に広く広め、禅の庭の原点を形作ったとされます。

本堂の西に疎石が手掛けたとされる庭があります。

池を中心とする回遊式で、嵐山を借景とした壮大な景色が広がります。

日本庭園の基本的様式に則り、中国から伝わった神仙思想が反映されています。

庭園には、禅僧の修行の場としての役割もありました。

室町時代後期創建の龍安寺は、本堂の南、幅22m,奥行き10mの敷地です。

白砂が敷き詰められ、15の石が配置されています。

作者も作成年代も不明で、見るものによって様々な解釈がなされてきました。

遠近法を用いて、空間をより広く大きく見せる仕掛けが施されています。

枯山水の造形は、中国から伝わった山水画に大きな影響を受けているとされます。

石の配置は日本庭園の基本的な構成理論を元に作られ、一度に15個全てをみることはできないとされます。

禅の修行の庭としての役割

バーグランドさんは、

「龍安寺の枯山水が世界で一番有名。毎日のように行って座禅をした。心がきれいになる。枯山水には力がある」

とコメントしました。

酬恩庵一休寺には坐禅石があり、修行のために作られたことがよく分かる庭となっています。

鑑賞ポイントは砂紋

鑑賞ポイント1は砂紋の描かれ方です。

流紋、さざ波紋などがありますが、水の流れの大きさを表現しています。

この違いが分かると枯山水の全体の意味合いやテーマが分かってきます。

南禅寺には流紋とさざ波紋が交互に描かれますが、穏やかな線で描くと禅にも入り込みやくなります。

一方、大波紋で描かれるのが大徳寺瑞峯院です。

厳しい波を描くことで、座禅を組むときも南禅寺とは異なる心持ちで臨むことができます。

見よう見まねで作った西洋風の建物

幕末から明治にかけての京都では、世界を揺るがす大事件が起きました。

京都は存亡の危機に陥りました。

禁門の変、尊皇攘夷派が御所で起こした武力衝突です。

京都の中心部は、一面の焼け野原になってしまいました。

さらに、明治新政府は天皇とともに都を京都から東京へと移してしまいました。

天皇を失った京都では、続々と廃業する店が出ました。

東京に移り住む人も。

京都に残った人々は復興のため西洋文化を取り入れ近代化を図りました。

当時の様子を今に伝えるのは近代建築です。

京都の未来を託す学生のため、教育機関に西洋風の校舎が採用されます。

仏教界でも西本願寺が西洋風の教育機関

「龍谷大学 大宮学舎本館」

を作りました。

この建物を作ったのは宮大工でした。

寺院建築のノウハウで挑んだそうです。

明治初期建造物の大半は木造でした。

石造りの洋館を短期間で作ったとみられます。

実はこの建物には石造りに見えて木造のか所が存在するそうです。

西洋建築に不案内な宮大工たちは、資料を元に見よう見まねで作り上げたそうです。

柱などに日本の知恵を活用されているそうです。

見よう見まねで作った洋館

建築技師の中尾さんは、

「京都民は東京に都をうつってから非常に残念がっていた。その中でやっぱり文化・経済・政治のよりどころが無くなってしまった。そういう意味から早く近代感の要素を取り入れたものを考えた」

と話しました。

木造の建物に石を貼り付けるという方法も取られていました。

この洋館にも一部そういう箇所があります。

アーチ状の窓枠部分が石で作られています。

木造石貼り建築で、木造部分に石材を貼り付けて西洋風の石造りに見せかけたものです。

ジェフさんは、

「日本人は木で建てる事に自信があるけど、石を貼らないと西洋風に見えないという工夫がすごいと思う」

と話しました。

京都で花開いた世界の建築様式

明治8年創立の同志社大学の校内には、本格的な西洋建築が軒を連ねます。

いずれも外国人が設計しました。

創設者新島襄は、欧米に学ばなければ日本に未来はないとアメリカに密航しました。

キリスト教の洗礼を受けて帰国し、京都に学校を開きました。

彰栄館

同志社大学で初めてのレンガ造り校舎が

「彰栄館」

です。

設計したのは、アメリカ人宣教師D.C.グリーンです。

アメリカの海外電動の団体から寄付を受け日本人が手掛けました。

そのため和洋折衷の箇所もあります。

レンガ造りの建物ですが、屋根の内部はハリに支柱を立てて支える日本伝統の技法が用いられています。

時計台も設けられ、かつては時を告げる鐘の音が鳴り響いていました。

同志社礼拝堂

彰栄館の2年後に完成したのが

「同志社礼拝堂」

です。

現存するプロテスタントの教会堂としては最古のものです。

重要文化財に指定されています。

天に昇るかのような尖った屋根に沿うように尖ったアーチ。

円形の窓を左右から支えるようにアーチ窓が配置されています。

アメリカン・ゴシックと呼ばれる様式です。

内部は、当時の様式と構法に習って改修されています。

創設者新島襄の深い信仰の証となる空間を残すためでした。

よく見るとステンドグラスは、日本独自の仕様です。

通常は色ガラスを鉛でつなぐステンドグラスですが、木の枠に色ガラスをはめ障子のような作りにしました。

天井の内側は西洋風の作りです。

交差した柱で支える西洋の技法です。

日本伝統の建築で作られた彰栄館から2年、西洋の技法を急ピッチで習得した様子がうかがえます。

学びや祈りの場を通して外国人によって吹き込まれた西洋の息吹は、今も尚京都の町を彩っています。

かつての日本銀行京都支店

今に名を残す日本人建築家も登場し、欧米からも高く評価される建物を手がけます。

現在は博物館として使われているかつての日本銀行京都支店だったレンガ建築は、明治39年の竣工で、設計は辰野金吾です。

イギリス人建築家に指示し、ヨーロッパにも留学しました。

日本の建築界を牽引しました。

辰野の建物を代表する特徴は、赤いレンガに白い帯模様です。

イギリスで赤レンガの建物に多様な装飾を取り入れてることにヒントを得て、独自の様式を考案しました。

白い帯模様は、レンガの建物に軽やかな表情を生み華やかさを与えました。

中に入ると2階まで吹き抜けの大空間となっています。

銀行の窓口だった仕切りにも細かな装飾が施されています。

白壁に木材、色の対比で空間を彩ります。

実用と装飾が見事に調和する天井の明かり窓です。

機能性が重視される現代の眼からは贅を尽くしているように見える空間です。

現在では、絵画展や演奏会に使われています。

京都府庁旧本館

京都府町旧本館を設計したのは、辰野金吾のもとで学んだ松室重光です。

松室は京都の生まれで、府庁に就職し旧本館の設計を任されました。

松室が文化の都を代表する建物にふさわしいと選んだのがルネサンス様式です。

ルネサンス様式は15世紀頃のイタリア生まれです。

古代ギリシャ・ローマ様式にならった格調高い華麗な装飾が特徴で、松室の思いを反映するものでした。

正面に見えるのは白を埋める草花です。

柱の上にはアカンサスといわれる古代ギリシャ風の植物の葉が見られます。

完璧な左右対称、ルネサンス様式ならではです。

玄関に入るとアーチが出迎え中央の階段では、草花の装飾に彩られた大理石の手すりが上の階へと誘います。

西洋に肩を並べる質の高さは多くの建築家に影響を与えました。

京都府庁は、全国自治体の庁舎の雛形となりました。

ジェフさんは、

「細かいところ見てるんですね」

など言いました。

鑑賞ポイント

中尾さんに鑑賞ポイントを伺いました。

レンガの積み方

見どころ1は、レンガの積み方です。

中尾さんは、

「レンガの積み方で代表的なのは4つある。フランス積み、イギリス積み、アメリカ積み、ドイツ積み。フランス積みはレンガの長い部分と短い部分を横に交互に並べる。イギリス積みは長い部分のレンガを連続して積むのと、短いレンガを連続して積むのと交互に行う。アメリカ積みは長い部分のレンガをたくさん並べる。ドイツ積みは逆に短い部分をたくさん使う。京都はイギリス積みが多い。平安女学院内に聖アグネス教会があるが、その建物に使われてる。同志社大学内にあるハリス理化学館にもイギリス積みが使われてる」

と話しました。

ぜいたくな空間づかい

見どころ2は、ぜいたくな空間づかいです。

中尾さんは、

「西洋建設は間口や空間をたくさん取れる構造を持ってる。贅沢な空間づかいをしてる」

などと述べました。

柱の装飾アカンサスに注目

見どころ3は、柱の装飾アカンサスに注目です。

「初期の頃のアカンサスの使い方はほとんどアカンサスの装飾になっている。時代が変わると、アカンサスの花と渦巻状のものに混ざってくる。これは西洋建築の名称で言うとアカンサスのコリント式という。渦巻状の物を使ってるのはイオニア式という。どちらもギリシャの土地に由来するもの。単純にコリント式のものについては、古いものという言い方ができる」

などと述べました。

近代建築が残る京都

近代建築が残る京都について、中尾正治さんは

「近代の博物館」

と話し、

「京都の建物は明治初期から戦前まで建てられてもので震災にもあわずにいた例は全国的にみてもない」

と話します。

ジェフ・バーグランドさんは、

「京都は伝統の文化の宝物だ」

と話し、

「楽しくなると古い伝統と新しいもののドッキングが大事でそれがわかるのが近代建築だ」

と伝えました。

Twitterでの京コトはじめで特集してた枯山水と近代建築への反応

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