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ブラタモリは静岡の浜松だった

今日のブラタモリは静岡の浜松でした。

旅のはじまりは新幹線の浜松駅

浜松駅の新幹線のホームからスタートしました。

浜松で降りたことがないというタモリさんは、

「浜松何やるんでしょうね」

と話します。

浜松市役所文化財課の太田好治さんは、故郷を調べて40年になります。

タモリさんがいるのは、東京と大阪のほぼ中間にある浜松市です。

タモリさんは、

「浜松と言えば、最近餃子が有名かな」

と話しました。

太田さんは、この下に浜松を象徴するものがあると言い案内してくれることになりました。

東京藝術大学大学院修了の林田理沙アナウンサーは、一昨年浜松国際ピアノコンクールを取材していて、案内されたピアノでドビュッシーの月の光を演奏をしました。

こちらもお願いしますと渡されたの楽譜を見て、お題のテーマ曲を演奏しました。

今回の旅のお題は、

「なぜ浜松が楽器の町になった」

です。

太田さんは、

「ピアノが日本で初めて作られたのは浜松市なんです」

と説明しました。

ピアノの売り上げは、世界シェア40%で1位、その他管楽器や電子ピアノなども世界シェア1位です。

浜松が楽器の町になる歴史的な出来事を紹介しました。

浜松と言えば近頃餃子が有名ですが、世界が認める楽器の町です。

浜松誕生の秘密

なぜ浜松が楽器の町になったのか。

今回は5つのステップで見ていきました。

まず、浜松の誕生の秘密に迫りました。

歩いて向かったのは、東照宮という徳川家康を祀るお宮です。

徳川家康は、浜松で17年間暮らし、浜松を足がかりに天下を勝ち取ったと言われるほど関わりが深い土地です。

3人でお詣りした後、

「境内の中にある秀吉と家康の像の間に立ってポーズをすると出世をすると言うことになっている」

と説明し、タモリが間に入ってポーズをとりました。

この場所には、家康に関わる重要な建物があったそうです。

家康が浜松に来てお城を建てたことが楽器の町になる第一歩だったそうです。

家康が来るまでは小さな宿場町でしたが、1570年に家康がこの場所に城を築き、浜松という地名を付けました。

なぜ家康は、城を建てるのにこの場所を選んだのでしょうか。

徳川家康が城を建てるのにこの場所を選んだ理由

その理由は町を歩くと分ります。

富士山の回でタモリさんと苦楽をともにした静岡大学教授の小山真人さんが合流しました。

小山さんはこの町の生まれだそうです。

小山さんは今は石垣になっている崖が何故あるのかについて、

「天竜川が作った崖で、家康は河岸段丘のヘリをわざわざ選んで城を建てていた」

と話しました。

桶狭間の戦いで今川が滅んだ後、この辺りは武田信玄の勢力が強くなっていて、家康は武田の動きを見張るため、河岸段丘のヘリを選んで城を建てたそうです。

浜松がなぜ楽器の町になった理由の一つは、徳川家康と天竜川の河岸段丘に関係していました。

領地でつくられた綿花

家康の領地で作られていたある物があります。

タモリさんが向かったのは、中心地から10キロほど離れた場所です。

ここがどんな場所なのかを地図で確認しました。

天竜川が流れを変えた後だそうです。

かつて天竜川は、暴れ天竜と呼ばれるほど激しく流れを変える川で、度々どこかで洪水を起こしました。

江戸時代の250年間で起こった洪水の数は、だいたい250回だったそうですが、そんな悪条件の中、苦労して作ったのが綿花でした。

江戸中期には、愛知、大阪に並ぶ三大産地として知られるほどでした。

浜松には、洪水が来ても綿花が流されないようにする秘策がありました。

田んぼの中にある盛り上がった場所が、綿花栽培の秘策の島畑です。

洪水で溢れ出した土砂は、水が引いてもそのまま残ります。

残った土砂の上に、さらに土を盛って、より高い場所で綿花を栽培し、洪水から守りました。

太田さんが、

「綿の一大産地になった浜松には、ある人達が集まってくるようになる」

と話し、

「それが分かる場所に行ってみる」

と言いました。

楽器づくりの礎になった高い技術力を持った大工

綿花の一大産地になった浜松は、織物をするようになっていきました。

浜松で織られた木綿は、江戸で評判になります。

そして綿を折るための織機がどんどん必要になりましたが、高い技術力が必要でした。

林田さんが、織機にチャレンジしてみました。

技術がいかされた楽器

浜松に集まったある人達とは、高い技術力を持った大工でした。

そして、この技術が明治維新後にいかされることになります。

林田さんは、

「明治維新の後、音楽取調掛ができて軍楽隊を導入し、フェントンが来て」

と話したところで、軍楽隊の楽器と予想しますが、軍楽隊自体は浜松とは関係がありません。

大工の技術力が生かされた楽器とはオルガンで、奥の部屋の用意されていたオルガンで、林田さんがメリーさんのひつじを演奏しました。

明治20年に、浜松にオルガンを導入しました。

当時最先端だったアメリカの楽器を教育に活かそうとしました。

ところが2ヶ月半で故障し、山葉寅楠に修理の依頼が持ち込まれました。

この山葉寅楠が製作に挑んで行ったのがピアノでした。

寅楠は、ピアノ製造を研究するため渡米し、5ヶ月に渡って現場を見学します。

そして13年後、独学で国産初のピアノを作り上げてしまいました。

楽器と地形

最後になるのは浜松の地形です。

実は、地形的にも浜松は楽器作りに最適でした。

タモリさんが向かったのは、天竜川の河川敷です。

浜松は子どもが生まれると凧を上げて祝う風習があるほど凧が名物です。

今回の案内人、小山さんも凧を上げて貰ったそうです。

凧を上げるのに必要なのは風で、この風こそがピアノを作るのに欠かせなかったそうです。

タモリさんは、

「木材を乾燥させるとか?」

と話し、それが正解でした。

木材は通常80%以上の水分を含んでいますが、ピアノに使う木材の水分は10%以下にしなくてはならず、欠かせないのが風です。

浜松は、遠州の空っ風と言われる乾燥した強い風が吹く場所でした。

もう一つピアノを作るのに良い条件が木材で、南アルプスから木材を天竜川を使って運ばれました。

かつて浜松は、木材の集積地でもありました。

からっ風と天竜川が運ぶ木材に後押しされ浜松は楽器の町になりました。

  1. 徳川家康と天竜川の河岸段丘
  2. 天竜川と綿花
  3. 織機と大工
  4. 山葉寅楠とピアノ
  5. 空っ風と南アルプスの木材

と、5つのステップを振り返っていきました。

最先端のピアノ工場

タモリさんは、最先端のピアノ工場へ向かいました。

この工場では、年間およそ2万台のピアノを製造しています。

タモリさんは、どうやって木を曲げているのかが気になる様子で、今回特別に見せてもらいました。

薄い板を重ねて曲げているそうです。

厚さmmほどの板を重ね、型に合わせて曲げて固めていきます。

重ねる板の種類にも秘密があり、固い木を使うと硬い音になるなど、ピアノになったときの音色に影響が出るそうです。

外観の最後の仕上げをやっている半場晋也さんは、

「もともと宮大工の経験がある」

と話しました。

最高級のグランドピアノを1台作るのに3年かかるそうです。

新しい楽器の手がかり

浜松が誇る楽器はピアノだけではありません。

ピアノづくりで培われた木工技術が意外な歴史をたどって新しい楽器を作りました。

と言うわけでタモリさんは、再び浜松に戻りました。

航空自衛隊 浜松基地 広報の早川泰明さんは、

「お探しのものが基地の中にあるので」

と、案内してくれることになりました。

浜松は航空自衛隊発祥の地で、大正15年陸軍初の爆撃隊の飛行第7連隊もこの地に置かれました。

浜松の高台は広く平で、滑走路を作るのに最適で、東京と大阪の中間にあることから基地の設置場所に選ばれました。

ピアノの製作技術は、他の楽器に結びつくものがあると言う基地史料館に向かい、入るとすぐにタモリさんは

「プロペラですか?」

と話し、それが正解でした。

旧軍時代に使っていた木製のプロペラは、ピアノと同じく木を張り合わせて作られていました。

プロペラの製作技術が進むと、次第に金属製の物が作られるようになりました。

そしてプロペラ製作で培われた金属加工技術が戦後、ある楽器に生かされます。

そのことがわかるという工場へ向かいました。

金属加工技術が生かされたのは管楽器でした。

この工場では、世界の管楽器の3分の1を生産しています。

この工場で作られたトランペットを受け取ったタモリさんは、

「これがプロペラの技術から来ているとは思わない」

と話しました。

Twitterでのブラタモリでやってた静岡の浜松への反応

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