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ブラタモリは諏訪だった

昨日のブラタモリは諏訪でした。

今回の舞台は、長野県の諏訪でした。

「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」

をテーマにしていました。

諏訪信仰研究家の石埜さんによると、年間観光客が1200万人だそうです。

境内に入ると御柱がありました。

オリエンタルラジオの藤森さんは、御柱祭で歌ったことが誇りだそうです。

社殿を建て替えるのが主な目的ですが、ついでに御柱も立てるそうです。

御柱祭の見せ場 木落し坂

御柱祭が行われる木落し坂にやってきました。

木落し坂は、多くの断層が密集する糸魚川~静岡構造線活断層帯の上にあります。

この断層崖を利用して、御柱祭いちばんの見せ場が作られています。

人々を諏訪に集めるもう一つのモノとは

諏訪を見渡せる展望台にやってきました。

多くの人が諏訪を目指したくなるもう一つの理由は、諏訪湖の御神渡りで、御神渡りが見られる年にはたくさんの人がやってきます。

約120万年前、この辺りは糸静線が折れ曲がった状態で通っていて、そこにプレートの沈み込みによる力が働き、断層がずれていくことで平行四辺形の穴が開き、そこに水が貯まり諏訪湖が誕生しました。

その後、江戸時代に行われた排水工事などの影響で現在の大きさになりました。

人々が諏訪を目指したのは遥か昔から

縄文時代中期、諏訪は全国で最も人口密度が高い地域だったと考えられています。

遺跡からは糸魚川のヒスイや関東産のコハクなど、様々なお宝が見つかっています。

江戸時代に記された伝承に関する書物には

「星糞」

を目指して多くの縄文人が諏訪に集まってきたとされています。

星糞がたくさん落ちていると言う所にやってくると黒曜石がたくさん落ちていました。

諏訪の黒曜石は全国の縄文人が憧れるもので、全国の縄文遺跡から多数発見されています。

星糞とは

星糞とは、石器の材料として使われた黒耀石のことです。

諏訪の黒曜石

諏訪の黒曜石は透明度が高く、実用品だけでなく宝石としての価値も持っていたと考えられています。

山を行くと、黒曜石の岩脈を縄文人が掘った採掘坑がありました。

この山では採掘跡が200近くあり、約5000年前に多くの縄文人が諏訪を目指し、黒曜石ラッシュが起こっていたそうです。

黒曜石とは

黒曜石は、火山岩の一種です。

また、それを加工した宝石です。

片岩の石器

河原にやってきて縄文人の生活に役立つ石を探しました。

諏訪の縄文遺跡からは、片岩の石器が大量に出土しています。

片岩は、石のくわのような道具に使われたと考えられ、近年の研究では縄文人は高度な植物栽培を行っていたことが分かっています。

諏訪は、中央構造線と糸魚川~静岡構造線の交わる所で、片岩がたくさん手に入る地質帯で魅力的な場所です。

中央構造線上には、諏訪大社の他にも豊川稲荷など聖地が続いています。

片岩とは

片岩は、変成岩の一種です。

広域変成作用によって、地下深部で剪断応力を受けて再結晶しました。

そのため、雲母のような板状の鉱物や角閃石のような柱状の鉱物が方向性をもって配列し、岩石は片理と呼ばれます。

面状構造を持ちます。

岩石は、片理に沿って板状に割れやすい特徴があります。

縄文人が諏訪を目指しやすかった理由

石のくわを作る技術は、もともとは諏訪地方にはなく、関東の人が持ち込んだ文化だそうです。

縄文海進によって海沿いに住んでいた関東の縄文人は内陸へ移り住むことになりました。

諏訪湖は、昔から富士山が見える名所で、富士山から諏訪湖ののびる谷があったことが縄文人が諏訪を目指しやすかった理由です。

Twitterでのブラタモリで特集した諏訪への反応

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