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ブラタモリは松本城だった

ブラタモリで、松本城を紹介していました。

松本城は、昭和11年に国宝に指定されました。

なぜ国宝に選ばれたのか、天守に近づくとその理由がわかるということで天守に向かいました。

松本城が選ばれた理由は、その構造の複雑さからで、城主が何回も変わり増築がされたそうです。

国宝松本城の北側をブラブラ

松本城の北側にある土橋にやってきて、古地図をたよりに堀の跡を目指して歩きました。

堀の跡では、湧き水が出ていました。

他にも城下町には、井戸や湧き水が300か所以上もあるそうです。

また、三重の堀はすべて湧き水で満たすことで、平城の守りの弱さを克服しました。

なぜ松本は湧き水の町なのか城の東をブラブラ

絵図を片手に城の東側に向かうと、水門のついた土手がありました。

水切土手で一度水をせき止めて、水位を調整しながら徐々に流れています。

絵図にも小さく水門がたくさん描かれていました。

ここは北東から南西に傾いた町で、水位を調整することで堀の水の量を保っています。

傾いた町松本ではなぜ水が湧くのか

松本は扇状地の扇端で、少し井戸を掘るだけで水が得られます。

また、松本は二つの扇状地が重なる複合扇状地です。

複合扇状地を作り出す二つの川が城を囲う自然の堀になっていました。

女鳥羽川は直角に曲がっていて、人工的にそうなったのか、自然になったのかまだ断言できないそうです。

武将たちが松本城を愛したさらなる理由

松本城の南にやってきました。

湧き水の水路にはニジマスがたくさんいました。

南の城下町を歩くと、間口の狭い建物が街道沿いの町の特徴として残っていました。

甲斐の武田信玄が信濃を攻める拠点にしたのが松本で、善光寺街道を北上すると川中島にぶつかります。

また、野麦街道との分岐点もあり、武田信玄は縦横に勢力を拡大していきました。

豊臣秀吉は江戸にいた徳川家康を包囲するために松本や上田、甲府などに城を築きました。

中でも松本は、中山道に近く信濃一の大都市で特に重要視されました。

また、徳川家光が善光寺参りをするとき松本城に泊まりたい言い、松平直政は月見櫓を作りましたがドタキャンになったそうです。

松本城をこの場所に建てたかった理由

絵図を見ると、松本城は街道を迂回させてでも建てたように見えます。

西側にある堀の跡を見ると段差があり、そのためここで堀をつくるために善光寺街道を押しやったとみられます。

この段差は断層崖で、松本城には南北に伸びる断層があります。

松本城から2キロ離れた山の上にやってきました。

武田信玄は、甲府盆地から続く糸魚川から静岡構造線を通って松本にやってきたそうです。

Twitterでのブラタモリで特集した松本城への反応

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