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ブラタモリで国境の島対馬を特集してた

ブラタモリで、国境の島である対馬が果たした役割を特集していました。

対馬が、日本の歴史にとって、どんな役割を果たしたのかを解き明かしました。

国境の島対馬

長崎県対馬。

島の北の端からは、天気が良ければ韓国の釜山の街を望むことができます。

対馬観光物産協会の西護さんは、島の魅力を伝える活動をしているそうです。

福岡出身のタモリさんは若い頃、釜山のラジオ放送を良く聴いていたそうです。

今回のテーマは、

日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?

でした。

魏志倭人伝は、約1800年前の中国の歴史書で、日本について記されたものです。

そこには、初めて渡った日本の国として対馬が登場しています。

対馬は、1800年前も現在も国境の島であることがわかります。

国境の島対馬が果たした役割

タモリさんは、三根という集落を訪問しました。

三根

入り江が奥まで入り込んでいる所に集落が形成されているのが対馬の典型的な風景だそうです。

対馬の歴史に詳しい村瀬さんによると、三根は魏志倭人伝に記された対馬国の中心的な集落があったのではと考えられているそうです。

港から川をさかのぼったところで、今から20年前、弥生時代の大規模な集落跡が見付かりました。

遺跡からは、1万点以上の土器が見つかり、中には朝鮮半島からもたらされたものもありました。

昔は今よりも入り江が深く、良田は殆ど作ることができなかったため、人々が生活していくには交易をしなければいけなかったということがわかります。

展望台

次にタモリさんがやってきたのは展望台でした。

展望台からは、浅茅湾の複雑な入り江、リアス海岸が望めます。

浅茅湾がリアス海岸だったことが日本の歴史上で重要な役割を果たしていくそうです。

浅茅湾が果たした重要な役割

島の東に向かい、浅茅湾が果たした重要な役割を探りました。

飛鳥時代、遣唐使は都から瀬戸内海を通り、九州北部を経由し、対馬から朝鮮半島を渡るルートで唐に向かっていたと考えられています。

その時遣唐使が立ち寄ったとされているのが、ここ小船越だと言われているそうです。

小船越の港から陸地で浅茅湾に向かい、朝鮮半島を目指しました。

実際に船に乗って浅茅湾に向かうことで、遣唐使の思いを体験します。

穏やかな浅茅湾を出て朝鮮半島を渡りますが、渡るまでが非常に難所であり、浅茅湾は待避所とされていたそうです。

生きて帰れるかわからないと言う遣唐使らの不安を和らげる役割もあったのではと言われています。

国境の島対馬の重要な役割をもう1つ知ることが出来る場所

浅茅湾には、国境の島対馬の重要な役割をもう1つ知ることが出来る場所があるそうです。

石英斑岩の山が国境の島と関係があると言うことで上陸します。

この山を調べて25年の田中淳也さんが案内してくれました。

案内されたのは、鬱蒼とした山の中でした。

白村江の戦いは、朝鮮半島で倭と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に大敗した戦いです。

戦い後、西日本各地に城が作られました。

約1350年前の金田城は、今も当時の様子を感じることができます。

金田城があるのは、浅茅湾の中です。

先人たちが堅固な城を築くため、地質を見極めて作ったのが金田城です。

山の中腹には、大きさを実感できる場所があります。

壮大な姿は、国境の島対馬が防衛の最前線だったことを伝えています。

Twitterでのブラタモリで特集した国境の島対馬への反応

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