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首都圏情報ネタドリで特集したのは宗教2世だった

昨日の首都圏情報ネタドリで特集したのは、小川さゆりとして生きることになった宗教2世の話題でした。

旧統一教会元2世信者の女性は、去年7月、社会を震撼させた安倍元首相銃撃事件をきっかけに小川さゆりとして生きることになりました。

容疑者の母親は、旧統一教会の熱心な信者でした。

事件後、宗教2世が声を上げ始めました。

当時、男の子を出産したばかりだった女性は、決意を固めました。

小川さゆりさんは、罪もない子どもたちが宗教2世として傷ついていくのを止めたいと、被害の実態を訴えることにしました。

小川さゆりさんは、宗教2世の象徴的存在になりました。

声を上げ続ける中で、被害者救済のための新たな法律が異例の早さで成立しました。

その影で女性は、小川さゆりと本当の自分とのギャップに苦しんでいました。

数奇な運命をたどることになった27歳の女性が小川さゆりとして生きた半年間の記録です。

小川さゆりとして生きる宗教2世の半年間の真実

番組が女性に会ったきっかけは、ツイッターの、

「自分がやらなければ、自分の子や二世の子供たちの未来を誰が守れるのか」

などの書き込みでした。

女性はなぜリスクを負い、顔まで出して声を上げたのかを知るために連絡を取ることにしました。

女性は夫と生後4ヶ月の子と表れ、一見幸せそうでした。

顔を出すことにためらいはなかったそうです。

女性は、

「私は教会に友だちがいっぱいいたんですけど脱会した後ゼロになっちゃったんですよね。そういう意味でも顔を出すことに抵抗がなくて 本当に自分のことなんてどうでもいいんですよね。自分のこと嫌いで」

と明かしていましたた。

女性は旧統一教会の信者の両親の元、6人兄弟の長女として生まれました。

両親は教団の教えに厳格でした。

女性は、

「周りの子達がキラキラして見えてすごく劣等感をずっと感じて生きていた」

と話します。

それでも女性は、次第に教会の活動に自ら参加するようになります。

高校生の頃には、創始者の教えを講義する大会で入賞するまでになっていました。

恋愛は禁止です。

おしゃれを楽しむこともなかった青春時代を送りました。

教団の中では多くの友人に囲まれ居心地の良さを感じていたそうです。

ところが教団に対し疑問を抱くことになる出来事があったそうです。

高校3年生の頃に参加した教団のセミナーで、男性スタッフからセクハラを受けたそうです。

女性が教団の役職者にメールで相談したところ、結婚前に異性との接触を禁ずる教団の教えに矛盾するのではないかという返信がありました。

脱会後の違和感

女性は教団を脱会しました。

脱会して7年が過ぎました。

生まれたときから植え付けられて来た考え方や習慣は、今も染み付いたままです。

教団にいた頃はその教えが全てで、逆に迷うことはありませんでした。

女性は、

「自分のこと考えるのは苦手」

「あんまり自分に関心がなくて、去年も1着か2着だけずっと洗って着てたり」

と話します。

教団を離れて初めて触れた外の世界に今も違和感を抱えながら生きています。

女性は、

「社会は根本的に堕落世界とかサタン世界ってなっちゃってるんでそれが抜けないって言うか、自分は今はべつにそういう悪い人たちだと思ってない。サタンとか思ってないんだけど自分とは何か違うのかなって思っちゃう」

などと明かしていました。

その後共通の趣味を通じて知り合った男性と結婚しました。

去年4月に男の子を出産しました。

教団にいた過去を忘れようとしていた中で、安倍元首相銃撃事件は起きました。

旧統一教会など一部の新興宗教の元信者たちが、次々と匿名で被害を訴え始めました。

自分と同じ苦しみを子ども達には味わわせたくない。

この問題を解決するには政治に訴えるしかない。

他の元2世信者や夫とともに、被害者を救うための新たな法律の整備を求めるようになりました。

小川さゆり

小川さゆりとして活動を始めて2か月が過ぎるころ、世間の注目を集める出来事がありました。

それは両親が行った献金の実態などについて記者会見をしたとき、両親の署名入りで送られていたFAXで、娘は事実と異なることを話すようになったなどとして、会見の中止を求めました。

しかしそうした事実はないとして会見を続けました。

女性は、

「私が正しいと思ってくださるならどうかこの団体を解散させてください」

などと訴えました。

小川さゆりの知名度はさらに高まり、その一挙手一投足に視線が注がれるようになりました。

活動が忙しくなるにつれて、子供との時間は失われていきました。

少し前までは誰も知らない存在だった自分と、世間で知られている小川さゆりとのギャップに悩むようになりました。

女性は、

「自分とほんと小川さゆりと全く別もの。全部本当は夢だったんじゃないかなっていつも思ってる」

などと明かしました。

その頃インターネット上には、誹謗中傷の言葉が大量に書き込まれるようになっていました。

「小川さゆりではなく、自分に向けられたものではないか」

と、受け止められず体調を崩すこともありました。

小川さゆりとしての影響

一被害者としてつらい気持ちを語り合えると思ったから、去年11月、統一教会被害者家族の会の会合に参加することにしました。

しかしすぐにメディアに囲まれインタビューを求められました。

参加者の中に、小川さゆりの会見を見て、20年ほどいた教団から脱会を決意した高齢の女性は、

「ちょうど小川さんのニュースを見て子ども達のことも重なりましたしね」

などと話していました。

小川さゆりは突然、会場の片隅に1人、座り込んでしまい、

「人の人生をそんな巻き込むことが自分にそんな資格があるのかなって思ったり」

などと心境を明かしていました。

「教団を脱会した後に自分が感じてきた生きづらさを味わわせてしまうのではないか」

と、小川さゆりとしての活動ができなくなりました。

再始動

その頃国会では、被害者救済のための法案審議が大詰めを迎えていました。

小川さゆりが不在の中、それまで人前に出ることがなかった被害者たちも、声を上げるようになっていました。

その姿に、励まされました。

さらに背中を押してくれたのは夫の言葉でした。

女性は、

「夫のことも子どものことも巻き込んでこれでよくない法案ができたら私ただ失敗しちゃった人。すごいめちゃくちゃ考えて。でも夫が全然意味ないことじゃないと言ってくれたし、声を上げた人たちがいた事を残しておくことがめちゃくちゃ大事なんだ。それで私も凄く納得して」

と話し、再び小川さゆりとして動き出しました。

国会への参考人としての召致

国会の会期末前日の去年12月9日。

小川さゆりは参考人として呼ばれました。

参議院の参考人質疑で、ありのままの自分で思いの丈を伝えました。

小川さゆりとして声を上げ始めて4か月。

被害者を救済するための法律は、異例とも言える早さで成立しました。

活動を通じて

活動が一段落し、家族との時間を楽しんでいた女性はずっと気になっていることがありました。

「自分の活動は、今も教団に残る人にとってどんな意味があったのか」

その答えを探すため、旧統一教会の二世信者の赤山さきさんの元へ向かいました。

夫も現役の信者で同じ年の子供がいます。

以前からSNSで交流を続けてきました。

活動中、ずっと心配だったことを伝えました。

小川さゆりは、

「2世3世とか教会の子たちは今後どういう社会的な扱いを受けていくのかなって。まったく悪くない子たちが教会と言うこの印象だけでそういう子達までは攻撃を受けるのは絶対違うなって」

と話します。

今は別々の道を歩んでいますが、子供に対する思いは同じでした。

数奇な運命を生きることになった1人の女性のその姿は、私達の社会が見て見ぬ振りをしてきた問題の一端を浮かび上がらせました。

Twitterでの首都圏情報ネタドリで特集した小川さゆりとして生きる宗教2世への反応

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