本ページはプロモーションが含まれています

Twitterまとめ 歴史

ネタドリで特集したのは戦争の傷痕だった

昨日の首都圏情報ネタドリで特集したのは、家の中に封じられた戦争の傷痕でした。

長くに渡った戦争では、多くの兵士が過酷な体験を強いられ心に傷を負いました。

そうした心の傷が、子供たちの世代に連鎖し、いまも苦しんでいることが分かってきました。

家の中に封じられた戦争の傷痕は親から子へ連鎖

東京都武蔵村山市にあるPTSDの日本兵と家族の交流館。

元日本兵の子供たちが訪れ、戦後、家庭内で起きた辛い経験を語り合いました。

元兵士の娘は、

「がらって人が変わっちゃうような。だから怖かった」

などと話しました。

交流館を作った黒井秋夫さんは、自身の父親に対する後悔の思いがあったそうです。

黒井さんの父は戦争から帰国後、無気力な状態が続き、76歳で亡くなるまで定職に就くことはありませんでした。

黒井さんは、こういう男にはなるまいと思っていましたが、7年前、ベトナム戦争から帰ったアメリカ兵が家族との関係を築けなかったと言う証言に触れた時、父の姿と重なったそうです。

自分と同じような思いを抱いている人が他にもいるのではと思った黒井さんは、8月、家族の証言集会を開きました。

集会に参加した73歳の女性は、

「お母さんが死んだかと思うほど殴る蹴る。そして私をにらみつける」

などと話しました。

女性は男性への恐怖心を抱くようになり引きこもりになってしまいました。

戦争とトラウマの関係について研究する中村江里准教授は、

「国家によって砲弾病などの存在が否定された。そうした父親の存在そのものであるとか家庭内での暴力というのは、外の人には話せない。いまお父さんやおかあさんが亡くなって、それにより他の人にも話せるようになった」

などと話しました。

市原和彦さんは、父親に憎しみの感情しか抱けなかったそうです。

市原さんの父は帰国後、アルコールを大量に飲み、母に暴力を振るうようになったそうです。

市原さんは、

「もとは優しい人間のようだった。父は何を思っていたのかは語らなかった戦争について」

などと話しました。

なぜ戦争の傷痕は親から子へ連鎖し苦しんだ

世代間の連鎖について専門家は、

「基本的に親子関係の関係性、関係のあり方が変わる。戦争の話はできないというのはひとつのタブー。感情の表現自体がブロックされる」

などと話しました。

体験を言葉にして語ることが状態の回復につながりますが、それが難しいことが問題を複雑にしています。

戦争の傷痕に向き合い始めた家族たち

父親の影響で子どもを持つことに消極的になったという鈴木さん。

自分を苦しめてきたのは何なのかと父の戦争体験を辿ろうとしていました。

軍歴証明書には父が語らなかった、戦場のことも記されていました。

南京事件の時期、鈴木さんの父は南京での戦闘に参加していたと記されていました。

交流館を作った黒井秋夫さんは、他の家族や中村准教授らとともに中高生向けの本を出版しようと動き始めていました。

家の中に封じられた戦争の傷痕

塚本晋也さんは、

「普段は優しいお父さん。戦争にいって上官の人に捕虜を刺せと命じられた。一番最初に感じた感情は手応え。そこから戦場では人を殺すのが平気になってしまう。そういう体験をした方々が日本に帰ってきて家族と暮らすときに、お父さんは戦場でこんなことをしたなんて言えない。そのことがいま問題になっている。知っていくことが大事だなと思う」

などと話しました。

Twitterでのネタドリで特集したのは戦争の傷痕への反応

-Twitterまとめ, 歴史
-, ,

© 2024 アラ還おやじのコーヒータイム!これっていいんじゃない?