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アナザーストーリーズで特集してたミグ25亡命事件

昨日のアナザーストーリーズで、米ソ冷戦時代に起きたミグ25亡命事件を特集していました。

今、ロシアが世界中に脅威を与えています。

ロシアが、まだソビエトと呼ばれていた時代、日本と一触触発になった半世紀前の事件があります。

時は1976年9月。

旧ソビエト軍の戦闘機ミグ25が、北海道の函館空港に強行着陸しました。

パイロットは、ソ連からの亡命を求めやって来たビクトル・ベレンコ中尉でした。

ミグ25と言う最高軍事機密を奪回しようとソビエト軍が何か仕掛けてくるとの情報が駆け巡り、地元の自衛隊軍は命がけの任務に備えました。

函館の自衛官の緊迫の19日間

1976年9月6日、旧ソビエト軍の戦闘機ミグ25が北海道の函館空港に強行着陸しました。

パイロットはソ連からの亡命を求めやって来たビクトル・ベレンコ中尉です。

9月9日、ベレンコ中尉の亡命要求はアメリカに受け入れられ、日本を出国しました。

9月8日、在日米軍から

「ミグ25を破壊するためソ連軍ゲリラが日本に侵入する動きを把握」

との確度の高い情報が防衛庁にもたらされました。

その情報は、自衛隊の現場に直ちに伝えられ、自衛隊幹部は防衛庁に防衛出動の発動を求めました。

しかし、自衛隊が憲法に違反しているとの世論が少なくなかった当時、政府では防衛出動の検討すらされませんでした。

ソ連のミグ25奪還作戦を受け、海上自衛隊や航空自衛隊も出動し、陸上自衛隊の内部では、万が一の攻撃に備え現場が準備を進めていました。

文書命令が出ないまま、24時間の臨戦態勢は2週間を過ぎました。

その間、ミグ25の機体をアメリカと自衛隊で共同調査することになり、茨城の自衛隊基地へ移送することが決まりました。

ミグ25飛来から19日目の9月24日、ミグはアメリカ軍の輸送機に積み込まれ、函館を飛び立ちました。

この事件のことは自衛隊の記録に

「函館駐屯地における警備訓練」

とだけ記されました。

米ソ冷戦によるベレンコを巡る攻防

1976年9月6日、ミグ25が函館空港に強制着陸した事件について、日本で取り調べを受けたビクトル・ベレンコ中尉は、目的がアメリカへの亡命だと明言しました。

アメリカはこれを絶好の機会ととらえ、すぐに亡命を受け入れました。

その結果、ミグ25の性能を解明することに成功しました。

超音速ですが、空中戦に不向きな戦闘機であることがわかりました。

機体は他国の戦闘機よりもかなり重く、最新の素材ではなく、重い鉄が使われていたことがソビエトの内情を知る手がかりとなりました。

また、この当時、CIAなどの情報機関が外国の非合法活動などに関与しているなどの疑惑が持ち上がっていて、ベレンコ中尉の受け入れはアメリカの悪評を払拭する力になったそうです。

自由を追い求めたその先に

当時、作家の辻仁成さんは、函館市内の高校に通っていて、ミグ25亡命事件に遭遇しました。

事件が頭から離れなかった辻さんは、サンディエゴへビクトル・ベレンコ本人に会いに行きました。

辻さんは、ベレンコへのインタビューの中で

「私がアメリカ人に同化していく過程において最も苦労したのは選択の自由」

という言葉が印象に残ったそうです。

ソビエトの山村で生まれたベレンコは、極貧の中で育ち、貧しさから這い上がるため軍のパイロットとなりましたが、軍の劣悪な環境に失望し亡命を決断しました。

亡命後、ベレンコは数年間に渡って、米軍やCIAに協力し、アメリカの市民権を与えられました。

アメリカ人女性と結婚し、一時実業家として活躍したこともありますが、過度の飲酒で体調を崩し離婚、ここ10年ほどは友人たちとも疎遠になっているそうです。

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