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アナザーストーリーズはオールナイトニッポンを特集してた

アナザーストーリーズで、オールナイトニッポンを特集していました。

オールナイトニッポンは、オープニングテーマのBittersweet Sambaとともに始まるラジオ番組です。

歴代のパーソナリティは、人気ミュージシャンからお笑い芸人まで、競いあうようにユニークな番組を送り出してきました。

伝説の深夜放送は、どのようにして生まれたのでしょうか。

真夜中の解放区誕生

元ニッポン放送社長の亀渕昭信さんは、高度経済成長期の真っ只中、

「三無主義」

と呼ばれた若者たちをターゲットにラジオ番組オールナイトニッポンを始めました。

当時としては珍しい深夜の生放送で、制作部の亀渕さんにパーソナリティの白羽の矢が立ちました。

「ハガキぶん投げ作戦」

など独創的なコーナーが人気となり、週に4、5通だったというリクエストはがきは、週に2万通を超えるようになりました。

人気番組となったオールナイトニッポンですが、始末書の数が半端ではなく、笑福亭鶴光さんがパーソナリティを務めた番組は、放送終了の度に全国から苦情電話が殺到する事態となりました。

オレのためのラジオ

ビートたけしさんがパーソナリティのオールナイトニッポンは、1981年1月1日に第1回放送が始まりました。

たけしさんは初回放送の中でリスナーに

「これは、ナウい君たちの番組ではなくワタシの番組です」

と言い放ちました。

ウソのないたけしさんの喋りは新鮮で、全国のリスナーの心を鷲掴みにしました。

たけしさんに読んでもらいたい一心で知恵を絞ってハガキを書くリスナーを指し、

「ハガキ職人」

という言葉も生まれました。

カンヌ映画祭で自身が出演した映画

「戦場のメリークリスマス」

が受賞を逃した際には、2時間にわたって愚痴を話し笑いに変えました。

たけしさんは、

「ラジオで様々なことを批評したことが、後の映画製作の原動力になった」

と語りました。

ひとりひとりに届ける

日本を代表する作詞家の秋元康さんは、高校時代ハガキではなく、いきなりコントの台本を局へ送りつけ、それが亀渕昭信さんの目に止まり、オールナイトニッポンの放送作家として番組に関わるようになります。

制作陣の中で最年少の秋元さんは、

「一番リスナーに近い存在として、受け手と送り手の間にずっといる存在だった」

と自身を語りました。

秋元さんはオールナイトニッポンで学んだことについて、

「100万人の人がそれぞれ別の思いでリクエストしたってことなんですよね」

と話しました。

Twitterでのアナザーストーリーズで特集したオールナイトニッポンへの反応

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