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情熱大陸で特集したのはパティシエ界最高峰の大会に挑む高橋萌だった

情熱大陸で特集したのは、パティシエ界最高峰の大会に挑む高橋萌さんでした。

パティシエ高橋萌が師匠と歩んだ世界一への道

パティシエの高橋萌さんはここ6年、コンクールだけと向き合ってきました。

先月、世界のパティシエたちが国の威信をかけて頂点を競い合いました。

高橋さんのいる日本のチームが栄冠を掴みました。

女性パティシエのいるチームの勝利は史上初でした。

東京の五反田の人気の小さな洋菓子店

「エキリーブル」

で高橋さんは働いています。

高橋さんは、この店でオーナーパティシエの徳永純司を支えながら、世界大会も目指しました。

寝る間も惜しむ日々でした。

師匠の背中を追いかけて

パティシエの高橋萌さんは、勤め先のすぐ近くに部屋を借りています。

朝7時半に一日が始まります。

高橋さんは、従業員たちを束ねるポジションについています。

パティシエの仕事は、レシピを忠実に再現することの繰り返しです。

流れが澱まないように気を配ります。

オーナーパティシエの徳永純司さんは8年前、高橋さんが挑むコンクールで準優勝に輝きました。

高橋さんはその戦いに感動し、徳永さんに弟子入りしました。

高橋さんは難関を突破して、日本代表の3人に選ばれていました。

大会7ヶ月前の去年6月、高橋さんは千葉県松戸市の造形作家の星雅治さんの工房を訪ねました。

高橋さんは、大会で造る料理の造形について星さんに学んでいます。

大会4ヵ月前、徳永さんが見守る中、高橋さんはコンクールで担当するレストランデザートの試作を行っていました。

レストランデザートはチームの得点を大きく左右します。

高橋萌の生い立ち

高橋萌さんは1986年、千葉県船橋市に3姉妹の次女として生まれました。

幼い頃から母親の手作りケーキに親しんできました。

高校を出て製菓学校に学んで以来、一人暮らしをしています。

フランスでも1年修行しました。

娘の様子を見に母親が月に1度はやって来ます。

父親は18歳の時に病気で亡くなりました。

取材の日は姉と妹も集まり、みんなで食事を楽しみました。

栄冠に輝く

大会2か月前、懸案のレストランデザートの方針も固まってきました。

12月、本番を想定したシミュレーションが行われました。

チームは飴細工担当の鈴鹿成年さん、氷彫刻担当の柴田勇作さん、そしてチョコレート担当の高橋さんの3人で構成されています。

シミュレーションでは、多くの課題が見つかりました。

フランスに出発するまでに、さらに3回のシミュレーションを行いました。

1月、フランスのリヨンでコンクールは行われました。

審査員にはピエール・エルメもいました。

そして結果発表。

本命と目されていたフランスが第2位、前回優勝のイタリアは第3位でした。

日本は第1位に輝きました。

張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れました。

追い続けてきた夢を手に入れた高橋さんは、この先自分には何があるのだろうと考えました。

新たな始まり

大会に優勝して、高橋さんは誰よりも先に徳永さんに感謝を伝えました。

そして2日後、パリの公園で高橋さんは、以前から気になっていたというパティスリーのケーキを食しました。

「燃え尽きてしまったのではないか」

と言う心配は杞憂でした。

優勝を手にした直後、

「もっと勉強しなければ」

と思ったそうです。

優勝は終わりではなくて、始まりでした。

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