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昨日の仕事の流儀はホルモンの神様の焼肉屋特集だった

昨日のプロフェッショナル仕事の流儀は、ホルモンの神様の焼肉屋特集でした。

ホルモンの神様と言われる男が歩み続ける焼肉道

豊島雅信さんが働く焼肉店は、開店の時間前から店には行列ができ、遠方からも多くの客が訪れる人気店です。

タンやカルビ、ホルモンといった一般的なメニューをガスロースターで焼く、そんなごく普通の焼肉店でありながらも、豊島さんが担当するホルモンの味は、一線を画していると評判です。

営業を終えた後には、仕込みに取り掛かります。

レバーは、中央にだけある極上の部分を切り取り、血管を丁寧に選り分けます。

ホルモンと向き合う時、豊島さんは

「弱さも磨けば強みになる」

とあえて素材の個性を引き出すことを考えていました。

午前4時にすべての仕込みを終え、賄いで腹を満たしてから豊島さんは帰宅します。

ホルモンの神様と言われる男の焼肉屋が万人に愛されるその理由

豊島さんの店で供されるメニューは、いずれも手間暇を惜しまず、客へのこだわりに満ちています。

しかし、

「焼肉は大衆の食べ物」

と言う豊島さんの言葉通り、そうしたこだわりを客に押し付けることはしません。

店は、予約を一切受け付けていなくて、店内では、客が皆平等です。

ホルモンの神様と言われる男の失った右手の空白の15年

8月、豊島さんは、墓参りへと向かいました。

両親の墓に手を合わせた後は、かつて世話になった近隣住民などにも線香を手向けます。

昭和33年、精肉店を営む両親の元に生まれた豊島さんは、事故で2歳で右手の指を失いました。

生活の上で不便なことはありませんでしたが、学校では偏見の目を向けられることも多く、学校には行かず就職することを決めました。

家族が営んでいた焼肉店で働くことにした豊島さんですが、就職から15年は言われたことを適当にこなしては遊び歩く毎日を繰り返していたそうです。

そんな折、精肉工場で売れ残ったホルモンを目にした豊島さんは、誰からも必要とされていないホルモンを自分と重ねました。

豊島さんは、ホルモンを買い取って独自に研究を重ね、毎日15時間以上も仕込みに打ち込みました。

それから数年後、豊島さんの店には、少しずつホルモンを求める客が訪れるようになりました。

豊島さんは、自身の焼肉道は、この右手が教えてくれたと語りました。

ホルモンの神様と言われる男の焼き肉下町人情物語

別の日、豊島さんは、技術を学びに来た料理人たちを迎えました。

そのうちの1人、渡辺さんは、自身の店を持ちたいと願うアルバイトの青年でした。

ギアラの仕込みを学ぶことになった渡辺さんですが、技術不足を度々指摘されていました。

豊島さんは、兄と2人で店を切り盛りしていますが、老いた兄は、店を畳むことを考えているそうです。

残り僅かな時間の中、豊島さんは、若い人に焼肉道を伝えたいと語りました。

豊島さん自身も、立ち仕事で酷使してきた足が限界を迎えていて、医師からも仕事を辞めるように勧められていたそうです。

そんな中、豊島さんは、渡辺さんに、掃除や心構えを教えこんでいきます。

渡辺さんが苦手だったギアラの仕込みも繰り返しやらせては、少しずつ渡辺さんの技術が向上していくのを眺める豊島さんは、嬉しそうな表情を浮かべました。

ホルモンの神様と言われる男のプロフェッショナルとは

豊島さんは、プロフェッショナルとはなにかとの問いに

「前進あるのみ。きょうより明日、それを目指して頑張るしかない」

と語りました。

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