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石川さゆりのファミリーヒストリー!津軽海峡・冬景色のヒットの陰に家族のルーツがあった!

石川さゆりさんは、3月でデビュー50年を迎えました。

その圧倒歌唱力のルーツを探りました。

初めての紅白歌合戦は19歳の時でした。

去年紅組最多となる45回目の出場を果たしました。

石川家のルーツ 水害に耐えた先祖

石川さゆりさんの父方である石川家は、熊本市で水害に遭いながら粘り強く生きてきました。

祖父は熊本市電の監督でした。

昭和20年、熊本大空襲で市電は一時営業ができなくなりました。

祖父は転職しましたが、職を失い祖母は海苔の行商で家計を支えていました。

父は中学卒業後、熊本市内の農機具店で働き始めました。

石川さゆりさんの母とは家族ぐるみで付き合っていました。

石川さゆりさんの両親が交際を始めた年に、大水害が起こりました。

チャレンジ精神旺盛な母方のルーツとは

母方は、曽祖父が明治31年から十数年の間に7つの土地を手に入れいていました。

七島藺を作り、田んぼを3000坪まで広げ息子が継ぎました。

石川さゆりさんの母は、写真館に頼まれモデルも経験しました。

母は洋装店に就職し、20歳で父と出会いました。

結婚には祖父が愛娘を裕福な家に嫁がせたいと反対しましたが、両親は同棲し暮らし始めました。

昭和32年に結婚し、翌年に長女、石川さゆりさんが誕生しました。

石川家の日常は

父は熊本市交通局に務め、母は保育士の資格を取得しました。

家の窓口では、バスの切符を売っていたそうです。

デビューへの軌跡

昭和43年、一家は横浜市の団地に移り住みました。

中学に入ると石川さゆりさんは、牛乳配達を始め音楽教室の月謝を自力で稼ぎました。

当時、高橋惠子さんも同じ音楽教室に通っていました。

こども歌謡選手権では船頭小唄で優勝し、ドラマに出演しました。

昭和48年に歌手デビューしました。

1月~12月まで季節にあわせて様々な曲が作られ、津軽海峡・冬景色が石川さゆりさんをスターの座へと押し上げました。

ブラジルの親戚登場

ブラジルの親戚が登場しました。

石川さゆりさんの曽祖父の兄弟は、ブラジルで息子たちと森を開墾し、自分の農園を持ちました。

不器用だった父 秘めていた娘への思い

父は不器用で、娘への思いを口にしたことはほとんどありませんでした。

平成24年に父は79歳で死去しました。

石川さゆりさんは、近年はジャンルの異なるミュージシャンとも共演しています。

Twitterでのファミリーヒストリーでやっていた石川さゆりの話題

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