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ファミリーヒストリーで特集したのは麒麟の川島だった

昨日のファミリーヒストリーで特集したのは麒麟の川島さんでした。

声を生かした漫才で人気を博してきた川島さんは去年春から、平日朝の帯番組の司会にも抜擢されました。

そんな売れっ子芸人川島さんのルーツに迫りました。

滋賀で法事 東京の親戚 父方の川島家のルーツ

川島明さんは、昭和54年の京都府宇治市生まれです。

川島さんは、初対面の親戚と滋賀県で法事がありました。

当時一族が集まったのは、滋賀県南五箇荘村、現在の東近江市です。

法事が行われたのは、弘誓寺でした。

住職の那須さんによると、

「ここにある門を修復した主の大工が川島喜兵衛だ」

とのことです。

また、江戸前期を生きた九兵衛の名前もありました。

川島家は、代々優秀な宮大工の家系でした。

川島家に明治18年に産まれたのが、川島喜一郎です。

後に喜兵衛の名を継いだ喜一郎。

明治39年、喜兵衛は福井市に住み宮大工として名を馳せようと励み、紐本小とよと結婚します。

その後、夫婦は大阪へ移り住みました。

川島さんの祖父の良三が誕生しますが、その翌年に喜兵衛の妻が突然死去しました。

「トヨコさんは、結核ですぐに亡くなった」

と話します。

喜兵衛は、各地を転々とし、晩年を大田区で過ごしました。

身を寄せたのは、川島外吉の家でした。

昭和12年喜平衛は、51歳という若さで亡くなりました。

紐本家の弘は美声の持ち主で、弘の息子の妻の悠紀子さんは、

「それはもうええ声をしていた」

と話します。

川島さんの祖父の良三は、きつい仕事もこなし、周りにはひょうきんに振る舞っていたそうです。

若い頃の良三を知る脇本さんは、

「周りに笑いをとっていた」

と話します。

川島さんは、

「いつも良三さんは屁をこいていた」

と明かし、

「笑顔で笑う部分は今のしごとと似ている」

などと話しました。

家族とユーモア大事にした祖父良三の人生

京都宇治市にある実家を訪れ、川島さんの父嘉一さんは、愛犬の散歩がてらあるところへ案内してくれました。

現在は駐車場になっていますが、祖父が若い頃に務めていたであろう藤本呉服店でした。

呉服屋で成長していった祖父良三は、20代半ばに斎藤静香に出会います。

静香は当時、呉服屋の隣にある衣料雑貨店で働いていました。

現在は静香のいとこ脇本さんがお店を引き継いでいて、

「私らはもう姉と弟みたいな関係で。バンバン好きなこと言ってでも割にみんなに優しい」

と当時の静香について話します。

静香は大正10年広島県生まれで、生後まもなく母が腸チフスを患い斎藤家に養子に出されました。

共に実の親と離れて育った2人は、昭和18年に結婚、翌年には長女、長男と2人の子供に恵まれました。

その後祖父良三は、名産の宇治茶を各地の得意先に配達をする専属ドライバーになりました。

仕事も家庭も順風だった川島家は予想だにしない不幸に見舞われます。

昭和32年4月20日夜、十三大橋で静香を乗せたタクシーに飲酒運転のトラックが正面衝突し大破しました。

当時11歳だった川島さんの父喜一は事故の一報が飛び込んできた瞬間について、

「静香危篤の電報が届き父が慌てて出ていったことを覚えている」

などと話しました。

静香は一命を取り留めましたが、何度も手術を繰り返す重傷で後遺症が心配されたため、良三は家をあける運送の仕事を辞めたそうです。

自宅にいて金を稼ぐ術がないか思案する良三の元へ知人が訪ね、漬物店の開業を提案されたそうです。

そして昭和33年に開業すると漬物の味だけでなく、明るい人柄や軽妙なトークなどもあり店は繁盛したそうです。

町の人気者となった良三は、地域の子どもを可愛がることでも有名で、子どもの頃に良三に遊んでもらったことがあるという鎧塚俊彦さんは、

「世界的なパティシエとして多くの人に会っても良三の印象は薄れず、良くしてもらった」

などと話しました。

川島さんの父喜一は中学卒業後に自動車の塗装工として働きはじめ、当時の同僚によると明るい人柄で宴会部長のような存在だったそうです。

川島さんは、漬物店の始まりは祖父が勝手にやったと聞いていたそうで、

「祖父の他界後も祖母が店を続けた理由がわかった」

などと話しました。

最愛の母を生んだ植田家のルーツ

川島さんの母親、悦子さんは去年74歳の若さでこの世を旅立ちました。

家族を大事にする人柄で、川島さん本人も、

「今になってスゴイと思う所だらけだ」

と語っています。

その悦子さんのルーツを探るべく、京都府の弓削村まで訪れました。

悦子さんのいとこ、植田勝さんがこの地に住んでいて、先祖代々の墓を教えて貰いました。

農家だった曽祖父の榮右衛門さんその次男として、生まれたのが川島さんの祖父となる太市さんです。

京都市内の鉄工所で働き、20代なかばで西村八重子さんと結婚したそうです。

しかし時は日中戦争の真っ只中、祖父の太市は招集され歩兵として最前線に送られました。

2年間で20以上の戦闘に加わったと後の軍歴で明らかになりました。

そのせいか、

「帰還後はすぐに激昂し手を挙げるなど正確が一変し、晩年まで変わらなかった」

等と話しています。

母との別れと母への感謝

漫才大会で成績を残すも注目が集まらず焦ることもあった川島さんですが、笑いのために人を傷つけないという心だけは持ち続けました。

すると次第にバラエティ番組への出演が増え、好感度を買われて司会の仕事なども担当するようになると去年3月にはラヴィット!のMCに抜擢されました。

しかしこの頃母の悦子さんは、肝臓の持病が悪化し入退院を繰り返すようになりました。

悦子さんを担当した看護師は、

「常にニコニコしていて看護師の心配もしてくれる優しいお母さんだった」

などと話しました。

新型コロナの感染拡大で家族と面会できない悦子さんを慰めたのが、テレビに映る川島さんの姿だったそうです。

去年11月23日に悦子さんの容態が急変し、面会を許されると川島さんの兄は一緒にラヴィット!を見たそうです。

そして午前9時7分に悦子さんは亡くなりました。

川島さんのファミリーヒストリーには、ユーモアと愛情で苦難を生き抜いた家族の姿がありました。

川島さんは、

「これからさらに胸を張って芸人をやりたいと思う」

などと話しました。

Twitterでのファミリーヒストリーで特集したのは麒麟の川島への反応

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