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世界遺産で特集したトスカーナ渓谷

昨日の世界遺産で特集したトスカーナ渓谷とは、イタリアのオルチャ渓谷です。

人が生んだ絶景

オルチャ渓谷はイタリアのトスカーナ州の南部に位置します。

石造りの街を頂く丘がいくつもあり、その周りを美しい田園が囲っています。

初夏になると小麦畑が風に波打つように揺れていました。

空から見ると畑の中にイトスギが小さな広場を囲むように植えられています。

イトスギがある光景は、オルチャ渓谷を象徴する眺めです。

植樹されたイトスギは、農道の補強や傾斜地の土留めなどが目的であり、さらに畑などの境界線を示す目印でもあります。

現在緑が広がるオルチャ渓谷ですが、かつては不毛の地でした。

それが分かる場所があります。

オルチャ渓谷には、白い大地がむき出しになっている場所があります。

白い土壌は粘土質の土壌で、水はけは悪く、農業には適さない場所で、白い大地が本来のオルチャ渓谷の姿です。

700年以上かけて土壌を豊かな農作地に作り変えました。

トスカーナの地では、アグリツーリズモと呼ばれるイタリアで大きく発展した農家に宿泊・体験する旅行ができます。

この日は、トスカーナのパスタ、ピチを振る舞ってもらいました。

丘の上の要塞都市群

オルチャ渓谷の畑の中には、サンタンティモ修道院が建っています。

8から10世紀頃、この地はこうした修道院の支配下にありました。

フランチジェナ街道は、現在サイクリングなどが楽しめる道ですが、かつては商人や巡礼者が利用していました。

街道は、イギリスとローマが繋がっていて、街道には共に発展した都市が存在します。

その一つがラディコーファニという街で、丘の上には要塞があります。

こうした要塞都市が次第に力を持ち、修道院に代わりに土地を支配するようになりました。

また、都市同士が領土を巡って争っていて、サン・クイリコ・ドルチャは戦に備え城塞化した街です。

オルチャ渓谷で、火山活動の結果生まれたアミアータ山は、その麓に温泉が存在します。

水の色は乳白色で、保養地として古代ローマの頃から愛されてきました。

川岸の岩は、温泉に含まれる石灰分が固まったもので白くなっていました。

ルネサンスが輝かせた田園

オルチャ渓谷はワインの名産地でもあります。

この地で大規模な開墾が行われたのは13世紀で、それを指示したのはがシエナでした。

オルチャ渓谷で中世に力を持っていたのはシエナ共和国でした。

ヨーロッパの金融の中心地として13から14世紀にかけ黄金時代を迎え、シエナ大聖堂や人々が世界一美しいと言ったカンポ広場ができたのもこの頃です。

さらにシエナは手付かずだった荒れ地の開墾を推し進めました。

シエナ市庁舎には、14世紀の開墾の様子が描かれた壁画が残されていました。

オルチャ渓谷は、ルネサンス時代に美しさを増した田園風景を理由に世界遺産に登録されました。

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