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ピラミッドの真実がおもしろかったからまとめてみた

昨日のピラミッドの真実がおもしろかったのでまとめてみました。

謎に包まれた世界最大のピラミッド

吉村先生は、

「ピラミッドは王の墓ではない」

と断言します。

墓泥棒が掘り進むうちに、偶然にも遭遇した建造当時の上昇通路の長さは70mで傾斜26度です。

通路は、幅も高さも約1mで墓に納めるものをたくさん運び込むのはかなり大変です。

大回廊の先を行くと部屋があり、クフ王が埋葬されたと考えられピラミッドは、王の墓だと言われてきました。

王の間と言うには殺風景で、壁には何も描かれていません。

クフ王の棺と言われてきた石の箱をツタンカーメンの棺と比べると、何も描かれていません。

石の箱の大きさは、ツタンカーメンの棺にすっぽり入り、棺としては小さすぎます。

ミイラと棺からピラミッドの正体に迫る

国立エジプト文明博物館にやってきました。

セクエンラー二世のミイラには、戦いで受けたと考えられる傷があります。

古代エジプト人の考えでは、肉体を離れた魂は鳥の姿となりあの世とこの世を行き来し、再びこの世に戻った時に蘇ることを願ってミイラは作られました。

ラムセス二世の人型棺は、長さ2m10cm、幅・深さ70cmで、ピラミッドの石の箱のサイズには相応しくないそうです。

ツタンカーメンの場合は、石棺の中に三重の人型棺が収められています。

王の間の石の箱には、ツタンカーメンの人型棺の全ては入りません。

また、石の箱が置かれているのは地上約50mで、古代エジプトの墓は地下にあります。

王の間の石の箱が棺ではないとしても、ピラミッドは王の墓であると唱える学者も多くいます。

ピラミッドには地下に向かう通路があり、その先には部屋が一つあります。

最近の雨で土砂が流れ込んで通路が埋まっていました。

通路の先にある地下の間は、凸凹で作っている途中の様でした。

吉村先生によると、クフ王の墓として造り始めたものの、岩盤がピラミッド建設に最適と判断し、墓の工事を中止してピラミッドを建設したそうです。

世界が注目するピラミッド解明の手がかり

太陽の船

クフ王のピラミッドの南側から見つかった巨大な木造船、

「太陽の船」

はピラミッド建造と同じ時代にこの砂漠の地下に収められました。

使われている主な木材はレバノンスギで、約1000km離れたレバノンから莫大な黄金と引き換えに取り寄せて作ったクフ王のための特別な船です。

王様がなくなると魂は太陽の船に乗り、太陽神ラーとともに大空を渡ると考えられました。

亡くなった王様が再びこの世に蘇ることを願って太陽の船は建造されたそうです。

1987年、吉村先生はエジプト考古庁の要請で電磁波レーダーの調査を行い、太陽の船の西側に地下空間を発見しました。

1992年、発掘調査を開始すると全長31m、41個の蓋石が現れました。

太陽の船はもう1艘ありました。

分析の結果、こちらの木材も約4600年前のレバノンスギであることがわかりました。

引き上げた木材を厳密な温度や湿度のもとで管理するために現場をテントで保護しました。

ピラミッド保護のため重機が使えない状況で、蓋石を持ち上げるためにクレーンを作り上げました。

神の仲間クフ王

2011年、エジプトで革命が勃発しました。

ツタンカーメンの宝は略奪の被害に遭い、発掘も中断になりました。

2011年6月、蓋石の引き上げが行われました。

厳しい条件の中、玉掛けという技術で蓋石を引き上げました。

蓋石にはクフ王の名前が記されていました。

引き上げた石の底の部分には、神聖な力を表す文字が数多く記されていました。

ピラミッドには文字資料が非常に少なかったので、謎を解く鍵になるそうです。

王の間の上にある重量軽減の間にある文字の検証すると、神聖な文字とクフ王の名前がありました。

今までピラミッド建造の労働者達の落書きで

「クフ王の仲間達=労働者」

と考えられてきましたが、クフ王が神の仲間となるという意味とわかりました。

ピラミッド解明の手がかり 砂漠に隠された太陽の船の秘密

エジプトでは古代から船が盛んに使われてきました。

太陽の船の蓋石を引き上げ、木材の取り上げにかかりました。

木材からは、木と木を合わせるための印が見つかりました。

木材の中には、第一の太陽の船には無かった銅の金具のついた木材がたくさん収められていました。

脆い板が壊れないよう和紙を貼って強化しました。

金具には釘がついていました。

これまでの定説だった、クフ王のピラミッド建造当時に釘は無かったと言うことが覆されました。

クフ王より100年ほど後の大臣の墓の壁画には、木材にあったL字の切れ込みを入れる様子が描かれていました。

切れ込みはオールをかける部分です。

第一の太陽の船のオールは大きすぎました。

これまでは2艘の船は同じもので、この世からあの世に行ったときに船を乗り換えると考えられていましたが、役割りも目的も違いました。

木材の合間には、大量のロープも見つかりました。

第二の太陽船が動力船として船を漕ぎ、第一の太陽の船を引っ張って進み、第一の太陽の船は舵取りをすると考えられます。

太陽の船には副葬品やミイラはなく、ピラミッドの中にも何も置かないと考えられます。

吉村先生によると、ピラミッドは墓ではなく埋葬された人たちを永遠に守り続けるものだそうです。

正倉院の宝物にピラミッド解明の手がかりがあるそうです。

正倉院の宝物に秘められたピラミッド解明の手がかり

正倉院はシルクロードの東の終着点とも言われ、ペルシャや西アジアの影響を受けた宝物が数多く収められています。

羊木臈纈屏風に描かれている羊のルーツは、エジプトにあると考えられています。

ルクソールに復元されたスフィンクス、参道にあるスフィンクスの顔は羊です。

羊はアメン神の化身です。

太陽のエネルギーを持った羊の神の力を諸国に知らしめた立役者とも言えるのがラムセス2世で、絶大な権力を持ち巨大な建造物を次々と建てました。

古代エジプトから日本へ ピラミッド解明の新たな鍵

熊本県人吉市にある大村横穴群と呼ばれるお墓は、約1400年以上前に作られました。

1つの横穴の上には、三角の文様が刻まれています。

力のある人の墓だけ三角文が太陽のエネルギーを吸収し横穴を守ります。

王家の谷でもピラミッド型の山が王達の墓を守ると考えられていました。

クフ王のピラミッドの西側にも、大臣や貴族の墓が数多く存在します。

福岡県桂川町にある王塚古墳の部屋の壁には、三角文がびっしりと描かれていました。

また、羊の角として描かれたものが日本に伝わった時、蕨に似ていることから蕨手文と呼ばれたと吉村先生は考えます。

正倉院の羊の屏風絵よりも200年も前に日本に伝わってきた可能性が見えてきました。

見えてきたピラミッドの正体 更なる疑問と挑戦

ピラミッドにクフ王は埋葬されたと言うこれまでの定説が覆されようとしています。

「ピラミッド内部には未発見の部屋がありクフ王は眠っている」

という説を唱える学者もいます。

2019年から電磁波を使って内部の構造を調べる試みが始まりました。

一方、第二の太陽の船の発掘調査は、全ての木材の取り上げが完了しました。

ピラミッドから約2km離れた場所で、船の復元作業が行われます。

プロジェクトに携わった様々な人が表彰されました。

ハウステンボスでは、第二の太陽の船の模型が展示されています。

三次元測量によって模型は作られました。

Twitterでのピラミッドの真実への反応

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