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カンブリア宮殿は高級路線のグルメ回転寿司金沢まいもん寿司だった

昨日のカンブリア宮殿は、高級路線のグルメ回転寿司金沢まいもん寿司の特集でした。

金沢まいもん寿司 北陸の幸を堪能できる極上ネタ

横浜市のある寿司屋はいつでも大盛況だそうです。

週末は、一日700人が訪れるそうです。

金沢まいもん寿司は、1999年に石川県金沢市で創業しました。

首都圏にも進出し、全21店舗が存在します。

ここは、グルメ回転寿司だそうです。

値段は1540円までのお皿がありますが、客単価は低価格回転寿司チェーンの2倍ほどだそうです。

少々高くても食べたいと言う北陸産の絶品ネタを楽しめます。

がすえびは、生では北陸ではめったに出回らないネタです。

多くの回転寿司店では、工場で下処理した魚を使用していますが、金沢まいもん寿司では職人が一からさばいていきます。

金沢まいもん寿司のこだわり

ネタだけではなくシャリにもこだわっていて、石川県産の米を数種類ブレンドしています。

お酢も石川県の老舗でオリジナルの調合を行います。

客層はファミリー層が多く、プチ贅沢にと人気です。

そしてその拠点になっているのは石川県金沢市です。

近江町市場には寿司屋がひしめきます。

金沢は寿司の年間支出額が日本一です。

そこには金沢まいもん寿司店の本店がありますが、満席で待ち時間も長いです。

本店では珍しいネタが味わえるそうです。

高級魚のなめらやほうぼうなどの希少な魚が味わえます。

金沢まいもん寿司本社

金沢まいもん寿司の本社は住宅街にあり、ログハウスのような外観でした。

社長はエムアンドケイの木下孝治さんです。

一級建築士の資格をもち工務店を経営していた経歴があります。

しかし43歳で突然回転寿司店を創業しました。

木下さんがこだわったのは店舗のデザインでした。

店内は加賀の伝統を踏まえた作りで、茶屋街で見られるベンガラの赤に輪島塗の黒です。

金箔をイメージする菜食を施しています。

安い早いが売りだった回転寿司でしたが、木下さんは、よそにはない高級感という付加価値をつけて業績を伸ばしてきました。

強さの源は仕入れ力です。

金沢市中央卸売市場に、仕入れ部の岡林さんが魚の仕入れにやってきました。

仲買人に競り落としてもらうことで、良い魚を仕入れることができるそうです。

この日は、クロムツやクエなどを手に入れました。

こうして売上は、10年ほぼ右肩上がりとなっています。

金沢まいもん寿司の戦略

スタジオにノドグロなどの寿司が登場し、小池さんらは、

「美味しい」

と答えました。

木下さんは回転寿司のレーンをおいておく理由について、

「回転寿司ということでハードルを下げて女性も子連れのファミリーも回転寿司というイメージは入りやすい」

と答えました。

また店内の装飾については、

「まだ参入したての頃の回転寿司はプレハブに少し装飾したような建物が多く、安く早くが売りだった」

と話し、

「美味しいものを食べるなら建物の設営も差別化し晴れの日に来たくなるように元々自分が建築に携わっていたのでそういう設計にした」

と話しました。

一級建築士が軽いノリで行列のできる寿司屋のオヤジに

石川県の金沢港は、この日カニ漁の解禁日でした。

香箱カニと呼ばれるズワイガニのメスの猟期は、11月~12月に限定されます。

解禁初日には、金沢まいもん寿司でも1000杯を仕入れました。

職人たちが大急ぎで仕込みました。

足の他に外子という成熟した卵も使用します。

香箱がに軍艦は、すべての部位をのせた冬限定の贅沢軍艦です。

月曜にも関わらず溢れんばかりの人が入りました。

木下さんは、1951年に石川県金沢市で生まれました。

工務店を経営する家系に生まれました。

25歳で一級建築士試験に合格し、27歳で父の家業を継ぎました。

転機が訪れたのは40代になった頃です。

地元の金沢市で行われた異業種交流会で、回転寿司のレーンを作っている会社の社長が木下さんに、

「素人のあなたが回転寿司やってみたら面白い」

と声をかけてきたそうです。

これからますます伸びるとの話に木下さんは、軽いノリでやってみようと思ったそうです。

42歳で回転錘の出店を決意しました。

しかし、寿司王国の金沢で素人がいきなり始めるのは無謀です。

木下さんは、海なし県の岐阜県羽鳥市にプレハブ小屋を建設しました。

店は大繁盛しました。

回転寿司店スタート

半年後に店の隣に回転寿司店を開くと、良い魚を売っている魚屋の回転寿司なら美味しいに違いないと客が集まり行列ができる繁盛店になりました。

1999年に金沢に回転寿司店を出しました。

グルメ回転寿司と言う新たなジャンルを切り開きました。

3年後に首都圏に進出しました。

2006年には、タイとフィリピンに出店しました。

銀座の一等地には、高級寿司店を開業しました。

しかし2008年のリーマンショックで、金沢まいもん寿司の銀座や海外の店は次々に撤退しました。

しかし今では全国21店舗展開しています。

今、回転寿司業界は大激戦を迎えています。

金沢まいもん寿司の人材育成

木下さんが生き残るために行ったのは職人の教育でした。

実技試験の現場では、2分以内に8皿を完成させます。

速さと出来栄えが求められ、合格すれば給料にも反映されます。

寿司職人のもう一つの研修として、お客と接客の技術をあげるためトーキングゲームを行いました。

第7回全日本回転寿司MVP選手権接客部門で優勝

こうした人材育成が今年大きな花を咲かせたそうです。

今年5月に、第7回全日本回転寿司MVP選手権は開催され、握りの技術やスピードを競いました。

接客の部門で金沢まいもん寿司の内添浩さんが優勝しました。

全国大会で優勝者を輩出した寿司職人の技と接客力

金沢まいもん寿司三軒茶屋の店長が第7回全日本回転寿司MVP選手権で優勝しました。

その腕前を披露しました。

内添さんは、寿司を大会の規定内の量で寿司を握ることができます。

修練で手に入れたものだそうです。

優勝した感想に内添さんは、

「自信につながった」

と答えました。

職人が金沢まいもん寿司で働くことの魅力に内添さんは、

「回転寿司とは思えないほどの魚種を扱う事ができ、自分が興味を持っていろいろな魚を扱える」

と話しました。

木下さんは、

「こうした社員がいることに嬉しい」

と語り、

「努力が実ったことが嬉しい」

と語りました。

木下さんは、リーマンショックを経て技術が必要と感じた背景については、

「大手強豪やライバル店と差別化するためにどこよりも強く特色を出すために人材育成を本気でやれば強い会社になると思った」

と語りました。

地方の回転寿司を救う金沢まいもん寿司流経営術

金沢まいもん寿司では、地方の回転寿司店の支援を行います。

群馬いちもんというローカルの回転寿司店で、その看板には金沢まいもんの文字がありました。

人気なのはブラックダイヤでした。

いちもんの社長が体調を崩し、他店に客を奪われ経営不振に陥っていたそうです。

そこで従業員を守るために金沢まいもん寿司に経営を引き継ぎました。

その時に方針としたのが群馬を盛り上げようと考えでした。

そこで始めたのは、群馬の食材を使用した寿司の提供です。

地元企業とコラボし、コラボ商品を開発しました。

たむらや握りは、群馬県民お馴染みの漬物店たむらやの味噌漬け大根を使用するなどしています。

更に名物の大粒ブラックダイヤは、黒豆納豆を使用しています。

これは地元の納豆メーカーとのコラボで生まれました。

木下さんは、

「店がこれだけ繁盛した理由にはいまだに自分が寿司を握らないから。死ぬまで握らない」

と語り、

「この伝説を通していきたい」

と答えました。

「自分が食べたいものは何なのか?」

や、

「ベストなもの」

を考えているそうです。

村上龍の今日の総括

村上龍さんは、今日の総括に、

「木下さんは回転寿司一筋ではないのに、回転寿司のことを誰よりも考えている。42歳で回転寿司を素人がやったら面白いぞと言われ、デザインが好きだったので、店舗デザインやプロデュースをするのは確かに面白そうだと参入することにした。参入のフットワークが軽い。創業するにあたり、まずは鮮魚市場を開き、魚屋が展開している寿司屋を演出した。ビジネスは大成功したが自分の魂が喜ぶことをやっている。朝起きて迷走を続けているらしい。何を想うのだろうか。ぜひ聞いてみたい。」

としました。

Twitterでのカンブリア宮殿で特集した金沢まいもん寿司への反応

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