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昨日の新日本風土記は石垣島だった

昨日の新日本風土記は、石垣島でした。

サンゴ礁の海に囲まれた沖縄県石垣島。

ここにしかない伝統の漁を続ける男たちがいます。

漁師たちがサンゴ礁の浅瀬に潜って魚を追い込む追い込み漁です。

昔、沖縄本島からやってきた漁師たちが伝え、ここに根付きました。

太平洋戦争のあとには、土地を失った他の島の農民が石垣島に移り住みました。

新天地を求め、夢を抱いて来た開拓移民の家族。

しかし、入植できたのはマラリアが蔓延するジャングルでした。

長い間、日本の統治下にあった台湾からも苦境に陥った人々が渡ってきました。

パイナップル、マンゴー目指したのは、亜熱帯フルーツの楽園でした。

様々な歴史や文化を背負った人たちが入り混じり、築いてきた暮らし。

小さいけれど懐の深い南の島の物語です。

石垣島の台風の夜

沖縄本島から南へ400km離れた石垣島。

5万人が暮らしています。

台風の通り道石垣島

8月始め、大型の台風9号が近付いていた石垣島。

石垣島は、台風の通り道です。

毎年決まってやってきます。

予報では、最大瞬間風速60mです。

木戸を取り付けているのは隣に住む親戚です。

いつも助けてくれます。

家の主は、沖山常さん82歳です。

娘の京子さんは、お盆で嫁ぎ先の神奈川から帰省中でした。

翌日昼、石垣島は暴風域に入りました。

学校や役所もお休みになりました。

嵐の夜の過ごし方

その夜、常さんの家にお邪魔すると、娘の京子さんに、いとこや同級生も集まってにぎやかでした。

島の人達の嵐の夜の過ごし方。

それは、毎年やってくる台風を肩寄せあって乗り切ると言う方法です。

台風一過

翌朝、島に大きな被害はありませんでした。

台風で買い物ができなかった京子さんは、飲み物を仕入れて戻ってきました。

母の常さんは、自宅で50年以上小さな店をやっています。

店を開けるのは2日ぶりです。

最近はあまり売れないそうですが、毎日ここに座ります。

海あっちゃー海を歩く

石垣島の漁業の拠点である新川。

明治時代、沖縄本島の糸満から移り住んだ漁師たちが石垣島の漁業の基礎を築きました。

金城和伸さんも祖父の代に糸満から渡ってきました。

今日の漁場

朝6時、サンゴ礁の海で今日の漁場を探ります。

その日、その時で違う潮の満ち引きや流れの早さを探ります。

辺りをぐるっと見渡して、沖合10kmの浅瀬に錨を下ろしました。

追い込み漁

追い込み漁が始まりました。

数人のグループで網の中に魚を追い込んでいく伝統漁です。

発祥の地である糸満ではすでに途絶え、石垣島でも和伸さんの船が最後の1隻だそうです。

新垣正美さんは、船の上で網の上げ下ろしなどをする和伸さんの女房役です。

場所を決めると、魚を追い込む袋網を仕掛けます。

追い込み漁は、網をはる人、岩にかかった網を外す人など、チームワークが欠かせません。

和伸さんは、海の中でも身振り手振りで指示を出します。

糸満の方言まじりの厳しい言葉が飛び交います。

袋網をはると、次は両側に魚を誘い込む袖網を張っていきます。

網の先のロープには、白いひもがついています。

長さ600mもあるこのロープを動かすと、魚は驚いて袋網に逃げ込むという仕掛けです。

網を絞り込んで魚を追い込んでいきます。

そして網を仕掛け始めてから4時間が過ぎました。

サンゴ礁のめぐみです。

とれた魚のうち高値で売れるものはすぐに那覇の市場に送られます。

習わし

海の仕事の節目には宴が習わしです。

この日は、漁師にとって危険なサメを力を合わせて仕留めました。

海の上では、厳しい和伸さんが別人のようです。

石垣島のお盆の行事アンガマ

旧盆の夜、和伸さんの集落の人たちが集まっていました。

石垣島のお盆の行事アンガマ。

あの世からきた老夫婦が子や孫を連れて家々を訪問し、歌や踊りで先祖を供養します。

和伸さんの実家にも親族が集まっていました。

90歳になる父善次郎さん。

70過ぎまで追い込み漁をしていました。

母トミさんは、自宅で小さな店を営み暮らしを支えてきました。

母を助けようと中学をでてすぐ海に出た善次郎さん。

そして和伸さんも同じ道を選びました。

家族の歴史を繋いでくれたご先祖様に感謝を伝え、そしてお帰り頂きます。

台湾からの贈り物

午後1時、石垣島の沖合に巨大な船が碇泊しました。

毎週のようにやってくる台湾からのクルーズ船です。

夜の出港時間まで人々は島を急ぎ足で周ります。

今は台湾の人たちにとって身近な観光地となりましたが、かつて人々は生きるためにこの島にやってきました。

台湾の豊作祈願の祭り

旧暦8月15日、豚2頭を丸ごと捧げる行事は元々、台湾の豊作祈願の祭りで、100年ほど前に石垣島に渡ってきた人々が始め続けてきました。

台湾で広く信仰されている土地の神の土地公に祈りを捧げ、願いごとを書いた紙を燃やし神様に届けます。

台湾の人々が中心になって開拓した集落の嵩田が、石垣島中央部の農業地帯にあります。

台湾系2世の島田長政さん

マンゴーを栽培している台湾系2世の島田長政さん。

7月は収穫の時期でマンゴーの実に袋をかぶせ、完熟させる方法は、石垣では島田さんたちが始めました。

マンゴーは36年前、島田さんの家族が台湾から苗を持ってきて栽培を始めました。

八重山マンゴー研究会

10年前には、仲間たちと八重山マンゴー研究会を立ち上げ、今では会員30名にのぼります。

2月に一度、八重山の他の島からも農家が集まり、栽培方法を研究しています。

島田さんの父

嵩田の人たちが眠る集団墓地。

島田さんの父の廖見福さんは、日本が統治していた時代の台湾で生まれ育ちました。

当時台湾では、日本政府によってパイナップル会社の統合が進められ、職を失った人たちが石垣島に渡っていました。

廖さんも23歳のとき、石垣島のパイン農場で働き始めました。

苦労の連続だったそうです。

苦しみながらも廖さんたちは、パイン農場を広げ、やがて島の人々も栽培するようになります。

畑で共に汗を流す中で、軋轢や差別も徐々になくなっていきました。

ゆんたく会

毎月一度、嵩田の公民館に住民たちが集まります。

30年以上続く、ゆんたく会です。

ゆんたくとはおしゃべりの意味です。

ゆんたく会には、それぞれ家ごとに自慢の料理を一品ずつ持ち寄ります。

今、嵩田は異なった歴史や文化を持つ人たちが集まる合衆国となっています。

台湾だけでなく、他の島や本土など、様々な出身の人が助け合いながら暮らしています。

地域に問題が起こる度に話し合いを重ねて乗り越えてきました。

一緒に悩み、知恵を絞って育ててきた合衆国の味は島の未来を支えます。

宝の海にゆらてぃく

新里昌央さんは、昔から人々の暮らしとともにあったサンゴの海でガイドをしています。

漁師でもある新里さんは、この海を知り尽くしています。

海を埋め立てる計画

白保に生息しているサンゴは、約130種類で、中でもアオサンゴの大群落は、世界的に貴重なものとして知られています。

しかし40年前、県は新石垣空港の建設のために海を埋め立てる計画を立てていました。

沖縄独特の住民の自治組織である公民館は、真っ二つに分かれます。

対立は10年以上にわたった末、貴重なサンゴを訴える声が国際的に高まり、県は埋め立てを撤回しますが、集落の分断の記憶は今も残っています。

白保ゆらてぃく憲章

空港問題がしこりを残す中で、日々の暮らしを共にすることから人々は集落の絆を取り戻すために、白保ゆらてぃく憲章を作りました。

ゆらてぃくとは、集まろうという意味です。

第1ポール

新里さんは、白帆に来たお客さんを必ず第1ポールに案内します。

これは、海を埋め立てて新石垣空港を作ろうとした際に、滑走路を造る目印となった構造物で、負の遺産として残しています。

石垣島天文台

九州沖縄で最大の光学望遠鏡を備える石垣島天文台は、2006年に市民の熱意により誘致されました。

八重山では、古くから星と暮らしが結びついていて、18世紀に作成された星図には、星座と農耕の関係が記されています。

かつて使われた星見石は、すばるが一定の角度に見えると種まきの時期とされていました。

天文台では観望会を開催していて、木星や天の川を見ることができます。

裏石垣の開拓者

石垣島北部、沖縄県最高峰の於茂登岳と海に囲まれた小さな集落が米原です。

目の前には、遠浅のサンゴ礁の海が広がります。

石垣島でも人気の観光地、米原ビーチが広がります。

開拓移民

世界一美しいヤシとも呼ばれるヤエヤマヤシの原生林とも知られています。

その近くのフレッシュジュースの店。

主人の上地源開さんの父たちは、70年近く前に沖縄本島からやってきました。

29世帯131人からなる開拓移民でした。

今はリゾートホテルとなっている場所は、当時アメリカ軍統治下にあった琉球政府からあてがわれた入植地です。

沖縄本島読谷村出身の父・源吉さんは、戦後、米軍基地の建設のため土地を奪われ石垣島に来ました。

キャンプを張り、みんなでジャングルを切り開きました。

水を引き、畑を作り、サトウキビやイモを植えました。

裏石垣

ところがそこは、裏石垣と呼ばれ、マラリアがまん延する地域でした。

石ころだらけの農業には不向きな土地でした。

多くの移民が去るなか、源開さんは父と共に農業を続け、家族を作りました。

しかし父が引退したのをきっかけについに農業を諦めます。

ヤエヤマヤシ

かつてサトウキビを作っていたこの土地に源開さんは、ヤエヤマヤシを植えました。

このヤシの枯葉を使って新しいことを始めています。

塩作り

作っているのは塩です。

海水を二晩かけて煮詰めた天然のミネラル豊富な塩です。

塩づくりには、幼い頃の鮮明な記憶が結びついています。

それは、父が少しでも収入を得るために夜通し塩を作っていた姿です。

かすかな苦味に甘みも混じった米原の塩です。

移住者が8割

源開さんのところに毎日のように通って来る人がいます。

6年まえ、千葉から夫婦で移り住んできた小倉英明さんです。

米原の自然が気に入り、毎年のように旅行で来ていた小倉さんでした。

たまたま知り合った源開さんに誘われ、思い切って移住を決めました。

小倉さんは、マリンショップで働いています。

いま米原は、小倉さんのような移住者が人口の8割になりました。

よその土地から来た人が暮らしやすいのはいいことですが、一方で開拓移民の苦難を知る人はほとんどいなくなりました。

米原の歴史の語り部

観光客が泊まる宿に源開さんが来ていました。

小倉さんが米原の歴史の語り部として招きました。

源開さんは、昔の話をし、音楽を披露しました。

いま若者たちが集まるここはかつて源開さんの父たち、開拓移民が切り開いた場所です。

苦難と希望が刻まれた始まりの土地です。

獅子舞かしら

旧盆の夜、白保の古いお屋敷に人が集まっていました。

この集落でも指折りの旧家、宮良家です。

200年以上の歴史のある獅子舞、かしらは代々受け継がれてきました。

みんな寄ってらっしゃい、集まりなさいという歌をうたい、邪気を払い、無病息災を願います。

かつて空港の問題で集落が分断されたときは獅子舞も分かれて行われました。

今はひとつになった獅子の舞です。

奉納の舞が終わると白保の家々に招かれます。

こちらのお宅で待っていたのは、今年生まれた2人の赤ちゃんでした。

獅子が2人の赤ちゃんを飲み込んでしまいました。

獅子に噛まれた赤ちゃんは、健やかに育つと言い伝えられています。

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