今日もそれがどうしたというような、ためになるのかならないのか、そんな雑学を紹介していきます
それでは早速行きましょう
今日は、江戸時代の農家の住まいについてです。
江戸時代の中農では、複数世帯が同居し世帯別の寝室があるのが一般的でした。
江戸は、百万都市とは言っても、その範囲はそれほど広くありませんでした。
日本橋の市街地から5 km ほど離れると、そこには農村地帯が広がっていたそうです。
江戸近郊の農家では、江戸で膨大に消費される野菜を主に生産していました。
ただし、一戸あたりの経営規模は、それほど大きくはなかったそうです。
江戸自体の農家の年収は、武士の10%ほどで、生活はそれほど楽なものではありませんでした。
ただ、主食である米と麦は、自家の消費分だけを栽培していたので、生活に困窮するということはなかったようです。
とは言え、人を雇うだけの余裕はあまりなく、ほとんどの農家は家族経営で成り立っていました。
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江戸時代の農家の住まいの間取り
一つの家で二世帯、もしくは三世帯で生活を営む農民が多かったようです。
居住スペースは、土間、座敷、部屋、奥座敷、納戸が基本でした。
三世帯の場合は、部屋が主人夫婦、納戸が若夫婦、奥座敷が老夫婦の寝室として使われました。
また食事や家族団らんの時は、座敷で過ごしていました。
中農、 貧農層の次男、三男、女子は、村の外に働きに出るのが一般的だったので一緒には暮らしていません。
風呂は、家の外に設置された五右衛門風呂を利用しました。
座敷にある横座は、主人が座るところです。
江戸時代の庄屋の住まいは武家屋敷に匹敵
村政を司る庄屋の住まいは、武家屋敷に匹敵するほど広大なものでした。
居住スペースに加え、庄屋としての政務をこなす部屋、幕府の巡見使を迎えるための座敷なども備える必要があったためです。
庭では、藩の軍用馬の飼育を行うこともありました。
トイレや風呂もきちんと屋敷内に構えられていたのが特徴です。