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昨日の林修のニッポンドリルで第2の軍艦島と呼ばれる池島をやってた

昨日の林修のニッポンドリルで、第2の軍艦島と呼ばれる池島をやっていました。

第2の軍艦島池島

長崎県の沖合に浮かぶ世界遺産の端島炭坑、別名・軍艦島。

そこから北約30kmの場所にある、第2の軍艦島と言われる池島をレッド吉田さんと土木学者の出水さんが取材し紹介しました。

池島で石炭の採掘が始まったのは1959年です。

当時は、石炭から石油に変わっていった時代です。

しかし、その石油が日本人を窮地に追い込みます。

1970年代に起きた第1次オイルショックです。

1973年、第4次中東戦争が勃発し、石油の価格が高騰しました。

このオイルショックに日本政府は、石炭の見直しを発令しました。

火力発電所を石油ではなく石炭で代用するなどの対応策が取られることになりました。

日本有数の石炭採掘場だった池島は、最新の掘削技術が導入され、大量の石炭を送り続けることで日本の危機を救いました。

その池島も21年前に炭坑が閉山しました。

現在は、まだ池島への上陸自体は許されていますが、建物の老朽化などから、この島もいずれ軍艦島のように立ち入りが制限される島になるかもしれないと出水さんは危惧しています。

池島には、池がありません。

それは、炭坑業を始める前に池を港にしてしまったからだそうです。

当時の炭坑を再現した場所

トロッコに乗って当時の炭坑を再現した場所を訪れました。

坑道を掘るのに必要なダイナマイトを差し込む穴を掘る機械や復元された重機などが置かれていました。

さらに、炭坑跡の奥には、当時実際に使われていた石炭を外に運び出すトロッコが通っていた通路がありました。

火力発電所

続いて、海に囲まれた池島内で電力を発電するためにつくられた火力発電所を訪れました。

この火力発電所には、海水を淡水に変える国内初の海水淡水化装置があります。

火力発電所から出る高温な蒸気で、島民が使う銭湯の湯を温める工夫を行っていたそうです。

炭坑に関係する人が住んでいた団地

続いて、炭坑に関係する人が住んでいた団地を訪れました。

最盛期には、軍艦島より多い約7700人が住んでいたそうです。

池島は2001年に廃坑となりましたが、軍艦島と違い、廃坑になった後でも元炭坑員たちが100人ほど生活している有人島です。

買い物は、本土からの週に1度の移動スーパーだけです。

池島から離れない理由は、自分たちが育った池島を軍艦島のような無人島にしたくないという思いがあるのだそうです。

Twitterでの林修のニッポンドリルでやってた第2の軍艦島と呼ばれる池島への反応

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