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家の風呂も天橋立もワケあってこのカタチだった!いったいどんなワケが!?

昨日のワケあってこのカタチなのは、風呂と天橋立を特集していました。

家の風呂と天橋立には、どんなワケがあってこのカタチなんでしょうか?

風呂と天橋立のカタチのワケをまとめてみました。

家の風呂のカタチ

家の風呂のカタチについて紹介しました。

家の風呂は、ワケあっていろんなカタチが生まれました。

今に近いカタチが生まれたのは、1960年代でほぼ真四角タイプが原点です。

当時はお風呂を沸かす機械が風呂の横にありました。

1977年には、お湯を沸かす機械が外に出て縦長タイプになりました。

しかし大きいだけでは満足できないと、くつろぐため肘置きが付くタイプが登場してきました。

その後、くつろぎだけではないと開発者は気付き、風呂のフチがくびれました。

フチが細いとつかみやすく、またぎやすくなります。

さらに全体を細くしなかったのは、安全性を求めたためで、座って回ってお風呂に入ることができます。

くつろぎと安全性を求めて出来た風呂でしたが、さらに風呂の中にステップをつけました。

ステップは半身浴用で、さらに大きい風呂ではストッパーの役割もあり、節水などにもつながるカタチとなっています。

天橋立のカタチ

天橋立のカタチについて紹介しました。

現在のカタチは、海の砂が良い感じに流れ着いてたまったものだそうです。

そしてここでカタチの成り立ちではなく、天橋立はずっと見に行きたいカタチだそうです。

年間300万人が訪れる天橋立です。

神奈川には烏帽子岩があるなど、景色はなにかに例えることで興味を持てます。

天橋立も奈良時代からハシゴのカタチと例えられていて、昔の人は京都から2泊3日歩いてこのカタチを見に行っていました。

神社などをお参りしながら行ったとされ、神様が倒したハシゴと考え、ありがたいものとして見に行ったとされています。

天橋立は常に人気だった訳ではありません。

1960年には、観光者数が100万人を下回っていました。

そこで考え、別のものに例えました。

股の下から除くと龍に見えると例え、遊園地も作り観光客が増えました。

補足情報として地元の人からみたら道で通学路でもあります。

江戸時代、水墨画家の雪舟が天橋立を描いて国宝になっています。

その絵を見ていると昔より伸びていました。

この伸びは自然に出来たもので、そのことから龍と例えられたそうです。

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