
こんにちは、アラ還おやじです!
毎年12月になると、
「今年の漢字は何かな?」
とニュースが気になりますよね。
京都の清水寺で、大きな筆でダイナミックに書かれるあの光景。
でも、
「なんで清水寺なの?」
って疑問に思ったことはありませんか?
実はそこには、ある一人の男性の、まさに
「清水の舞台から飛び降りる」
ような命がけの物語があったんです。
今日は、その熱い裏話をお届けします!
目次
50歳からの再出発!「漢字を広めたい」一途な想い
この物語の主人公は、大野博史さんという方です。
大野さんは50歳のとき、ある大きな決断をしました。
なんと、安定した仕事を辞め、当時まだ無名に近かった
「漢字検定」
の協会へ転職したんです。
まさに人生1回目の
「清水の舞台から飛び降りる」
覚悟でした。
当時はワープロが普及し始めた頃。
「漢字なんて変換すればいいじゃん」
という時代に、大野さんは
「日本人が漢字を忘れてしまう!」
と危機感を持ったんですね。

どん底からの大逆転!「アニメの失敗」がヒントに
大野さんは最初、学生や舞妓さんに漢字を教えるアニメを作りましたが……
これが全く売れませんでした。
「もう後がない」
そんな追い詰められた状況でひらめいたのが、
「その年を象徴する漢字を一文字選ぶ」
というアイデアだったんです。
最初は毎日発表する
「今日の漢字」
を考えましたが、一人で365日は無理だと断念。
アドバイスを受けて
「一年の締めくくり」
に絞ったことで、伝説のプロジェクトが動き出しました。
清水寺への直談判!2度目の「飛び降り」
大野さんは、発表の場として
「京都の清水寺」
を選びました。
しかし、ツテも紹介もありません。
大野さんはアポなしで清水寺へ向かいます。
これが2度目の
「清水の舞台から飛び降りる」
直談判です。
そこで偶然出会ったのが、当時の清水寺のナンバー2、大西執事長でした。
大野さんの熱意に心を打たれた大西さんは、なんとその場で
「ええですよ」
と快諾!
こうして、1995年に第1回の
「今年の漢字」
がスタートしたのです。
30年以上続く「墨」へのこだわり
第1回の漢字は、阪神・淡路大震災が起きた年の
「震」
でした。
それから31年。
今では20万票を超える応募が届く国民的行事になりました。
実は、今でも大野さんは現場にいます。
貫主(住職)が筆を持つ横で、墨がかすれないように念入りに筆を整える役目を、ずっと続けているんです。
大野さんは、東日本大震災の年の
「絆」
という文字が、今でも忘れられないと言います。
漢字には、日本人の心を一つにする力があるんですね。
まとめ!挑戦に遅すぎることはない!
「今年の漢字」
が清水寺なのは、大野さんという一人の男が、人生をかけて2回も清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑んだからでした。
- 50歳で夢のために転職した覚悟
- 失敗しても諦めずに直談判した行動力
私たちアラ還世代にとっても、大野さんの物語は勇気をもらえますよね。
今年の漢字を見るときは、ぜひその裏にある
「男の熱いドラマ」
も思い出してみてください。
孫や友人に
「あれはね、大野さんっていうすごい人がいてね……」
と話してあげると、きっと尊敬されますよ!
以上、アラ還おやじでした!