横浜流星君が第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したようですね。
おめでとうございます!
横浜流星君と言えば、空手。
それも極真空手の世界チャンピオン。
実は、アラ還おやじの姪っ子も、極真空手をやっていて、よく大会へは応援に出かけたものです。
大会を観戦しながら、よくこんな痛そうなことできるなと、感心したものです。
横浜流星君が優勝した大会で、実は、アラ還おやじの姪っ子は、第三位に入賞しています。
そのときに、中学2・3年男子の部に強い選手がいるなぁという印象を持ったことを、うっすらと覚えているアラ還おやじです。
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横浜流星は極真空手で世界チャンピオンになったのは本当か?
横浜流星君は、極真空手の世界チャンピオンだったというエピソードは、ファンであればみんな知っていますが、本当なのでしょうか?
横浜流星君の特技は、確かに極真空手で現在初段の腕前です。
所属は、一般財団法人国際空手道連盟極真会館下総支部松伏分支部です。
先生は、分支部長を務めている岡田幸喜です。
中学3年生の時に世界大会で優勝。
正確には、2011第7回国際青少年空手道選手権大会という国際試合の13・14歳男子55kgの部で優勝しています。
横浜流星君が所属する極真会館では、一般男子の世界大会は4年に一度開催されていますが、当時、一般男子と一般女子以外のカテゴリーでは、正式な世界大会と言う名称の大会は開催されていなくて、1年に一度、4月に東京で開催される国際大会が世界大会という意味合いを兼ねて開催されています。
去年、一般男子の世界大会が開催されたんですが、そのときに、一般男子、一般女子以外のカテゴリーの正式な世界大会として、ワールドエリート大会が開催されました。
いずれにしろ、極真空手の国際試合や世界大会で優勝するということは大変なことです。
子どものころから芸能事務所に所属していた横浜流星君。
その状態で、よく極真空手の世界大会で優勝することができたなと思います。
実は、横浜流星君は、中学時代は芸能活動を二の次。
極真空手の稽古を優先して頑張っていたそうなんです。
そのために事務所加入したてのころも、新人が受けるレッスンにあまり行っていなかったということなんですね。
それはそれで、よくその状態で、今の活躍まで漕ぎつけたなと思ってしまいます。
でも、考えてみれば、極真空手の世界大会で優勝できると言うことは、かなりストイックな性格なはずです。
ストイックさがなければ、極真空手の世界大会で優勝するだけのトレーニングをこなすことはできません。
そんなストイックさがあれば、他のことでも結果を出せるはずですから、何となく納得もしてしまいます。
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横浜流星のデビュー作品は?
横浜流星君のデビュー作品と言うか、初仕事は、首都圏を中心に400教室以上展開していて、Z会ホールディングスの子会社が運営する学習塾栄光ゼミナールのCM撮影です。
その後、ファッション雑誌ニコプチのメンズモデルとして活躍。
公開オーディションを通って、2011年からファッション雑誌ニコプチの姉妹誌nicolaのメンズモデルでも活躍しました。
メンズモデル時代には、メンモ人気投票1位を獲得。
メンモとしては初の誌上連載を持ちました。
その年に仮面ライダーフォーゼで初のテレビドラマ出演を果たしました。
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横浜流星の父親は青森県東北町出身の大工だった!
横浜流星君の父親は、青森県東北町の出身だそうです。
職業は大工さん。
父親の出身地、東北町は、青森県上北郡の中央部に位置する町だそうです。
横浜流星君本人は、横浜市出身ということにはなっていますが、実際には、生まれて数か月間しか横浜市では過ごしていないそうです。
そして、育ったのは埼玉県北葛飾郡松伏町というところなんだそうです。
さて、本題に戻して、横浜流星君の父親の出身地である東北町は、青森県内では、駅伝の町として有名な町です。
青森県内全市町村が参加する青森県民駅伝競走大会の町の部で13連覇を果たしている青森県内では駅伝強豪の町だそうです。
そんな青森県東北町で育った横浜流星君の父親、15歳のころから大工として修行。
そんな若いころから、大工と言う厳しい世界で修業を続けてきたわけですから、かなり男気のある父親みたいです。
横浜流星君が反抗期だったとき、本人と徹底的に向かい合い、横浜流星君の性根を入れ換えたと言う強者です。
そんな父親の背中を見て、追ってきた横浜流星君。
極真空手の世界でも頂点に立ち、芸能界でも頂点へと歩み始めているのも納得です。
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