特殊潜航艇は、旧日本海軍が極秘裏に開発した2人乗りの小型潜水艇です。
積載された母艦から発進し、魚雷攻撃を行う小型の潜水艇で、全長24メートル、幅1.85メートルで排水量46トンです。
実戦での使用としては、1941年12月8日未明の真珠湾攻撃があります。
真珠湾攻撃では、5隻の特殊潜航艇が出撃しましたが、いずれも撃沈されるなどしています。
真珠湾攻撃
真珠湾攻撃は、第二次世界大戦で、日本海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃です。
当時の大日本帝国側の呼称は、ハワイ海戦です。
太平洋戦争での南方作戦の一環として、イギリスに対するマレー作戦開始に次いで実施され、日中戦争を戦っていた日本は、米英など連合国との全面戦争に突入しました。
戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は、戦闘能力を一時的に完全に喪失しました。
開戦初頭に、アメリカ軍艦隊に大打撃を与えて、側面から南方作戦を援護するという作戦目的を達成しました。
特殊潜航艇
航空攻撃と併用して、5隻の特殊潜航艇での魚雷攻撃も立案されました。
この計画は、連合艦隊司令部が秘密裏に進めていた真珠湾攻撃とは別に浮上した独自のプランであったり、司令部の他にも部隊側に開戦と同時に真珠湾を奇襲する発想があったことを示しています。
甲標的は、1940年9月に正式採用され34基の建造が命令されました。
1941年、昭和16年1月中旬から訓練が開始され、8月20日までに襲撃訓練が完了しました。
同時に、搭乗員の技量も向上していきました。
訓練により戦力化に目処が立つとともに日米関係が悪化する状況に、搭乗員から開戦時に甲標的を使って港湾奇襲を行うべきであるとの意見が盛り上がり、先任搭乗員の岩佐直治中尉から甲標的母艦千代田艦長の原田覚大佐へ真珠湾奇襲が具申されました。
この時、たまたま訓練を視察していた軍令部の潜水艦主務部員である有泉龍之助中佐もこの構想に共鳴して協力を約束しました。
9月初旬に、原田と岩佐が連合艦隊司令部を訪問して真珠湾潜入攻撃計画を説明しましたが、搭乗員の生還が難しいことから却下されました。
司令部を納得させるため、甲標的から電波を発信して潜水艦が方位を測定して水中信号で誘導を行う収容方法を考案し、再度司令部へ具申を行きましたが、搭乗員の収容に確実性がないとの山本の判断で再度却下されました。
部隊では、更に検討を行って甲標的の航続時間を延長するなどの研究を行い、10月初旬に三度の具申を行いました。
その結果、更に収容法の研究を行うとの条件付きながら、ついに計画が採用されました。
10月11日から13日に、長門で行われた図上演習には甲標的を搭載した潜水艦5隻による特別攻撃隊が使用されました。
特別攻撃隊の甲標的5隻には、岩佐ら10名の搭乗員が選抜され、作戦に使う潜水艦として甲標的を後甲板に搭載可能な伊16、伊18、伊20、伊22、伊24が選ばれました。
Twitterでの特殊潜航艇への反応
急造の様な基地ですが、コンクリート囲いとレールが設置され本格的な海軍施設となってます。
今も、形を留める特殊潜航艇が放置されているとは!
「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜航艇~」
のちに「九軍神」とされた人たちの関係者を取材した番組。このうちの一人は三重県の出身だが、もう知る人も少ないだろう。
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#NHKスペシャル
「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜航艇~」
真珠湾の海底で日本軍の特殊潜航艇が発見された。日米共同で潜水撮影を行い、関係者を取材。真珠湾攻撃に秘められた国家の情報操作を追跡する。
[総合]…#おしんチャレンジ
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