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日記 歴史

なぜ昭和45年〜60年は「一番幸せ」だったのか?不便だったのに心が満たされていた“正体”

こんにちは、アラ還おやじです。

今日は、私たちの世代にとって、切っても切り離せない

「あの15年間」

について、じっくりとお話ししたいと思います。

昭和45年(1970年)から昭和60年(1985年)まで。

振り返ると、なぜあんなに毎日がキラキラしていたのでしょうか。

みなさん、ふとした瞬間に

「昭和45年から60年ごろのあの空気」

を思い出すことはありませんか?

今の日本は、スマホ一つで何でも買えるし、動画も見放題。家だって広くなったし、道もきれいです。

でも、ふと

「あの頃の方が、なんだか幸せだった気がするなぁ」

と、遠い目をしてしまう。

それは単なる

「若かったから」

という思い出補正だけではないようです。

あの15年間には、今の私たちが忘れてしまった

「幸せのヒント」

が隠されていました。

今日は、その正体を一緒に探ってみましょう。

「明日が怖くない」という安心感

今の時代は

「明日はどうなるかわからない」

という不安が、どこか常にありますよね。

でも、昭和40年代から60年にかけては、もっと

「見通し」

が立っていました。

  • 仕事:一度入社すれば、ずっと働けるのが当たり前。
  • お金:急に大金持ちにはならないけれど、急に無一文になる心配も少なかった。
  • 比較:お隣さんも自分と同じような暮らし。SNSで他人のキラキラした生活を見て落ち込むこともありませんでした。

「みんな一緒」

という感覚が、私たちを強い不安から守ってくれていたのです。

「選ばなくていい」から心が軽かった

今は選択肢が多すぎます。

どのスマホにするか、どの保険に入るか、どの生き方が正解か……。

毎日

「選ぶこと」

に疲れてしまいますよね。

昭和の頃は、人生のレールがある程度決まっていました。

「学校を卒業して、就職して、結婚して、家を建てる」

選択肢が少ないことは、自由がないことのように思えますが、実は

「迷わなくていい」

という安心感でもあったのです。

「これでいいんだ」

と納得して、目の前の暮らしを一生懸命に生きることができました。

お茶の間で、大人も子供も「同じ世界」を見ていた

あの頃、夜の主役はリビング(お茶の間)のテレビでした。

チャンネルは少なかったけれど、家族全員で同じ番組を見て、同じ笑い声を上げていました。

お父さんが見ている野球を子供も一緒に見て、子供が見ているアニメをお父さんも隣で眺めている。

  • 朝はみんな同じ時間に家を出る。
  • 夕方は街のチャイムでみんな一緒に家に帰る。

「みんな同じ時間を生きている」

という一体感がありました。

今のバラバラな時間の中で生きる私たちにはない、温かなつながりがそこにはあったのです。

「やり直しができない」からこそ、毎日が濃かった

今のデジタルな世界は、失敗しても

「削除」

「戻る」

が簡単にできます。

でも、昭和はそうはいきませんでした。

  • 写真を失敗したら、その瞬間は二度と戻らない。
  • 言葉を間違えたら、その場の空気は取り返せない。
  • 物を壊したら、不便なまま過ごすしかない。

やり直しが効かないからこそ、私たちは

「今、この瞬間」

を大切に、慎重に、そして心を込めて生きていたように思います。

その

「重み」

が、今の私たちの記憶に深く刻まれているのです。

まとめ!あの15年間が教えてくれること

昭和45年から60年という時代が特別だった理由。

それは、お金があったからでも、便利だったからでもありません。

  1. 「明日への不安」が少なかったこと
  2. 「選びすぎ」で迷うことがなかったこと
  3. 「家族や社会」と同じ時間を共有していたこと
  4. 「やり直しができない毎日」を大切に生きていたこと

時代は変わり、あの頃の暮らしを丸ごと取り戻すことはできません。

でも、

「比べすぎない」

「選びすぎない」

「目の前の時間を大切にする」

という姿勢は、今の私たちの生活の中でも、今日からすぐに取り入れることができます。

あの輝いていた15年間は、ただの過去ではなく、私たちがこれから幸せに生きるための

「ヒント」

を教えてくれているのかもしれませんね。

アラ還おやじでした!

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