
皆さん、こんにちは。
アラ還おやじです。
皆さんは
「集団就職」
という言葉を聞いて、どんな情景を思い浮かべますか?
15歳、中学校を卒業したばかりの少年少女が、大きな荷物を抱えて
「就職列車」
に乗り込む姿。それは、昭和の日本で見られた、とても切なくも力強い光景でした。
今日は、私たちの先輩や親たちが駆け抜けた、あの
「集団就職」
の歴史を紐解いてみましょう。
集団就職ってなに?
集団就職とは、地方の中学校を卒業したばかりの若者たちが、まとまって都市部の工場や商店に働きに出ることです。
当時は今の日本と違い、まだ貧しい家庭も多くありました。
そのため、卒業してすぐに東京や大阪へ働きに出て、家族を助けるのが当たり前だった時代があったのです。
夢を乗せた「就職列車」の歴史
若者たちを運んだ専用の列車は、通称
「就職列車」
と呼ばれました。
一番有名なのは、東北地方から東京の
「上野駅」
を目指したルートです。
- 運行のピーク:昭和30年代から40年代
- 主な出発地:青森、秋田、岩手などの東北各地
- 到着地:東京(上野駅)、大阪、名古屋など

涙の上野駅と「金の卵」
長い時間をかけて上野駅に到着した若者たちを、当時の大人たちは
「金の卵」
と呼びました。
若くて、真面目で、一生懸命に働く彼らは、日本の宝物だったからです。
しかし、駅のホームには別れの涙があふれていました。
携帯電話もSNSもない時代です。
一度故郷を離れれば、次に家族に会えるのは1年後、あるいは数年後ということも珍しくありませんでした。
現代の私たちが学べること
彼らが必死に働いてくれたおかげで、今の便利な日本があります。
小さな背中で大きな荷物を背負い、都会の冷たい風に吹かれながらも、彼らは決して諦めませんでした。
その勇気と根性は、時代が変わっても私たちが忘れてはいけない
「日本の心」
ではないでしょうか。

まとめ
今回は
「集団就職」
と
「就職列車」
の歴史についてお話ししました。
- 集団就職は、中学卒業後の若者が都市部で働く仕組み。
- 就職列車は、故郷と都会を繋ぐ希望と涙の道だった。
- 彼らは「金の卵」と呼ばれ、日本の成長を支えた。
今の私たちが豊かに暮らせているのは、あの時、勇気を持って列車に飛び乗った少年少女たちがいたからこそ。
その歴史に改めて感謝したいですね。
アラ還おやじでした!