
皆さん、こんにちは。
アラ還おやじです。
昭和という激動の時代を生き抜いた私たちの世代にとって、食卓は単なる食事の場ではなく、家族の絆そのものでしたよね。
ふとした瞬間に、昔の家の匂いを思い出すことはありませんか?
私の両親はもう他界していますが、昭和の時代、家族全員でちゃぶ台を囲んだあの時間は、今でも昨日のことのように鮮明に覚えています。
不思議なことに、何を話していたかは覚えていなくても、そこに
「みんなが揃っていた」
という安心感だけは、心の奥に温かく残っているのです。
今日は、昭和の激動を支え、そして今では少しずつ姿を消してしまった
「5つの懐かしい家庭料理」
を一緒に振り返ってみましょう。
目次
かぼちゃの煮物!お腹と心を支えた、命の甘み
戦後すぐの食糧不足の時代、私たちの親世代にとって食事は
「何を食べたいか」
ではなく
「何なら食べられるか」
という切実なものでした。
その救世主が
「かぼちゃ」
でした。
庭先でも育てやすく、長く保存できるかぼちゃは、貴重なエネルギー源だったのです。
水と少しの醤油、お味噌だけでコトコト煮込んだかぼちゃ。
お肉も油もないけれど、かぼちゃそのものの甘みが、疲れた体に染み渡りました。
一度にたくさん作って、翌日の朝も昼も食卓に並ぶ。それが、昭和の
「当たり前」
の風景でしたね。
ほうれん草のお浸し!何も言わない、母の優しさ
1950年代、生活が少しずつ落ち着いてきても、食卓はまだ質素でした。
そんな中で、いつもお皿の隅っこにいたのが
「ほうれん草のお浸し」
です。
お湯でさっと茹でて、お醤油をかけるだけ。
派手さはないけれど、不思議と安心する味です。
「温かいうちに食べなさい」
と、多くを語らずに食事を運んでくれた祖母や母の姿が目に浮かびます。
メインのおかずが何であれ、必ずそこにある。
食事のバランスを整え、家族の健康を静かに守ってくれていた、名脇役でした。
肉じゃが!じゃがいもが主役の、家族のちから
高度経済成長期、お肉が少しずつ食卓に並び始めましたが、まだまだ高級品でした。
昭和の肉じゃがは、お肉よりも
「じゃがいも」
が主役。
お肉はあくまで、味にコクを出すための引き立て役だったのです。

各家庭で、少し甘めだったり、薄味だったり。
大きな鍋でドカッと作られた肉じゃがは、忙しい母の手間を助け、私たちのお腹をパンパンにしてくれました。
特別な日のおごちそうじゃない、普通の日の幸せを象徴する料理でしたね。
卵焼き!お弁当の隅っこに光る、黄色い太陽
1960年代から70年代、卵が手に入りやすくなると、卵焼きは子供たちの人気者になりました。
砂糖と醤油が入った、少し焦げ目のある卵焼き。
朝ごはんだけでなく、学校へ持っていくお弁当の定番でした。
蓋を開けた時、黄色い卵焼きが見えると、それだけで一日が明るくなるような気がしたものです。
忙しい朝、手際よく卵を焼く母のトントンという音は、昭和の朝の目覚まし時計でした。
サンマの塩焼き!秋の訪れを告げる、煙の匂い
最後は、秋の風物詩、サンマの塩焼きです。
昭和の後期、サンマは安くて美味しい、庶民の味方でした。
台所から漂ってくる、魚を焼く煙と香ばしい匂い。
それが近所中に広がり、
「あぁ、秋が来たんだな」
と感じたものです。
家族みんなで、少し苦い内臓の部分をよけながら、白いご飯をかき込む。
そこには、季節のリズムと共に生きる、豊かな時間が流れていました。
まとめ!料理は「思い出す」ためにある
今では、ボタン一つで美味しいものが届く便利な時代になりました。
でも、家族みんなが揃うのを待って、
「いただきます」
と手を合わせたあの頃の味には、どんな高級料理も敵わない気がします。
家庭料理とは、誰かに自慢するためのものではなく、大切な人を思い出すためのもの。
もしあなたが、今の食卓に少し寂しさを感じているなら、あの日食べた
「かぼちゃの煮物」
や
「卵焼き」
を作ってみませんか?
一口食べれば、きっと懐かしいあの人の笑顔に再会できるはずですよ。
今回はここまで。
また次回の記事でお会いしましょう。