
こんにちは、アラ還おやじです!
皆さんは100年前のお正月がどんな様子だったか想像できますか?
今は何でもお店で買えますが、昔はもっと
「手作り」
で、もっと
「熱い」
行事だったんです。
今の私たちからすると、
「えっ、そんなことしてたの!?」
とびっくりするような文化がたくさんありました。
さっそく覗いてみましょう!
目次
角松も料理も全部「手作り」!個性が爆発していた準備期間
今の時代、お正月飾りやおせちはスーパーやデパートで買うのが当たり前ですよね。
でも100年前、大正時代の人たちはほとんどのものを自分たちで作っていました。
- 角松(かどまつ):今は竹が目立ちますが、昔は松だけで作る家も多かったんです。
- 地域性:仙台の「仙台角松」のように、地域ごとに形が全然違いました。
昔は、家ごとに形が違うのが当たり前。
今よりもずっと
「我が家のお正月」
という個性が光っていたんですね。
カウントダウンは「寝ない」のがルール!?
皆さんは大晦日の夜、どう過ごしましたか?
テレビのカウントダウンを見たりしたはずですよね。
実は100年前、大正時代の人たちも夜更かしをしていました。
でも、理由は今とちょっと違います。
昔は
「日没が1日の始まり」
と考えられていたので、大晦日の夜に寝てしまうと、新年の神様(年神様)に失礼だと言われていたんです。
だから、みんな一晩中起きて神様を待っていました。
昭和に入ってラジオ放送が始まると、
「除夜の鐘」
が中継されるようになり、今のカウントダウンに近い形になっていったんですよ。

おせち料理のメニューが今と全然違う?
今の豪華なおせち料理(伊達巻やかまぼこが入った重箱スタイル)が全国に広まったのは、実は戦後のことなんです。
- 昔の定番:お雑煮、黒豆、田作り、たたきごぼう、お魚。
- 当時の工夫:大正時代の都会では、なんと「お刺身」を重箱に詰めるというチャレンジをしていた家もあったそうです!
でも、お正月は
「火を使わずにゆっくり休む」
という意味もあるので、だんだんと保存のきくメニューに落ち着いていったんですね。
衝撃!お年玉は「現金」じゃなくて「お餅」だった
子供たちが一番驚くのがこれかもしれません。
昔は、お年玉といえば
「お餅(鏡餅)」
だったんです!
もともと、お餅には神様の魂が宿るとされていて、そのお餅を家族に分けることが
「お年玉(御年魂)」
の語源でした。
お餅が
「お金」
に変わったのは、日本が豊かになり始めた昭和の高度経済成長期から。
昔の子供たちは、お餅をもらって大喜びしていたんですね。
「成木責め(なりきぜめ)」という謎のスパルタ儀式
100年前には、今の価値観では信じられないような面白い風習がありました。
それが
「成木責め」
です。
- 大人が木に向かって「なるかならぬか!ならないなら切るぞ!」とナタで脅すフリをします。
- 子供が木の代わりに「なります、なります!」と答えます。
これは
「今年もたくさん実をつけてね」
とお願いする、農業が中心だった日本ならではのユニークな儀式でした。
木を脅して約束させるなんて、ちょっと面白いですよね。
平和のありがたさを知る「戦時中のお正月」
昭和の戦争が激しくなると、楽しいお正月も一変しました。
「ぜいたくは敵だ」
と言われ、角松を飾るのも自粛。
本物の門松の代わりに
「角松が印刷された紙」
を貼ることもあったそうです。
年賀状も
「出さないように」
と言われ、おせちも満足に食べられない。
今の私たちが楽しくお正月を祝えるのは、平和だからこそなんだと、歴史が教えてくれています。
まとめ
100年前のお正月、いかがでしたか?
- 準備はすべて手作りで、地域ごとに個性的だった。
- お年玉はお餅だった(神様の魂を分けてもらっていた)。
- カウントダウンは神様を迎えるために「寝ずに待つ」ものだった。
- 木を脅して豊作を願う、面白い儀式があった。
形は変わっても、
「新しい1年を幸せに過ごしたい」
という日本人の願いは、100年前も今も変わりません。
今後の年末年始は、ちょっとだけ昔の文化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
もし興味が湧いたら、おじいちゃんやおばあちゃんに
「昔の正月の思い出」
を聞いてみてください。
きっと面白い話が聞けるはずですよ!
以上、アラ還おやじでした。