300本を超える自作を発表し、新作落語のカリスマと呼ばれた落語家と言えば三遊亭円丈さんです。
その三遊亭円丈さんが11月30日、心不全で死去した。
76歳でした。
三遊亭円丈さんの経歴
三遊亭円丈さんは、愛知県出身です。
1964年、六代目三遊亭円生に入門し、78年に真打ちに昇進しました。
子供時代に食べたお菓子への熱い思いを語るグリコ少年、北千住駅を発車する下り電車を描写した悲しみは埼玉に向けて、なぜかわからないまま死刑にされる男が主人公のわからないなど、斬新な発想を駆使してこれまでに存在しなかったタイプの新作落語を次々に発表しました。
春風亭昇太、柳家喬太郎、直弟子の三遊亭白鳥さんら、後輩の新作派に多大な影響を与えた落語家です。
また、神社参道の狛犬の研究家としても知られています。
狛犬とは
狛犬は、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる神獣です。
神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には、無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされます。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子でした。
左右の姿に違いはありませんでしたが、平安時代になって、それぞれ違う外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになりました。
狭義には、後者のみを狛犬と言います。
しかし、現在では、両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化しています。
狛犬の伝来
日本には、中国の唐の時代の獅子が、仏教とともに伝わったと言われています。
明治神宮では、伝来の時期は示していないのですが、日本人が異様な形の生き物を犬と勘違いし、朝鮮から伝来したため、高麗犬と呼ばれるようになったとの説を紹介しています。
こまいぬの語義には諸説あります。
魔除けに用いたところから、拒魔(こま)犬と呼ばれるようになったとする説などもあります。
奈良県法隆寺の五重塔初重の壁面塑造に彫られている像のように、はじめは、仏や仏塔入口の両脇に置かれ、獅子または大型の犬のような左右共通の姿でしてた。
角を持つという狛犬の由来については、さまざまな説があります。
延喜式の巻第46左右衛門府式に、
「凡そ大儀の日に、左衛門府は兕(じ)像を会昌門左に居(す)ゑ、事畢(おは)りて本府(左衛門府)へ返収せよ。右府(右衛門府)は会昌門の右に居えよ」
と記され、この「兕(じ)」は、獣医学者の吉村卓三によると、正体は、判然としないが水牛に似た一角獣で鎧の材料になるほどの硬皮を持ち角は酒盃に用いたというが、この「兕」が狛犬であるという説もその一つです。
Twitterでの三遊亭円丈さん死去への反応
圓生師匠は厳しい人だったみたいだけどニコニコして天国の門で待っててくれるのかな
ご冥福をお祈りします
悲しい。
PC雑誌でよく見かけた人ですよねー。
文句言ってたの何となく覚えてるような…w
パソコン落語とか前衛的でしたよね😊
カクレンジャー