
街が静まり返っていた
「特別な朝」
こんにちは。
アラ還おやじです。
2026年という節目の年を迎え、ふとカレンダーを見つめると
「昭和なら101年か…」
なんて感慨にふけってしまう今日この頃です。
私たちの世代にとって、昭和という時代は単なる過去ではなく、心の奥底にある
「温かな実家」
のようなものですよね。
今回は、あの頃の
「お正月」
をテーマに、皆さんと一緒に記憶の旅に出てみたいと思います。
今の時代、元旦からコンビニもスーパーも開いていて、本当に便利になりましたよね。
でも、私たちの子供時代——昭和30年代を思い出してみてください。
お正月になると、どのお店もシャッターを下ろし、街全体がしんと静まり返っていました。
あの
「特別な静寂」
の中で目が覚めた時のワクワク感、今でも肌が覚えています。
チクチクしたセーターと、台所の匂い
朝、重たい綿の布団から出ると、吐く息が白くなるほど家の中は冷え切っていました。
それでも、心は躍っていました。
なぜなら、今日は
「よそ行きの服」
を着せてもらえる日だからです。
- ノリのきいた真っ白なシャツ
- ちょっとチクチクする新しいセーター
お父さんは紋付き袴、お母さんは割烹着を脱いで着物姿に。
家族揃って
「おめでとう」
と挨拶を交わす。
そこには、背筋が伸びるような心地よい緊張感がありました。
台所からは、数日前からお母さんや、おばあちゃんがコトコト煮込んでくれた手作りの御節(おせち)の匂いが漂ってきます。
今の豪華なデパートの御節もいいですが、あの少し濃いめの
「家の味」
が、今猛烈に恋しくなりますね。
お年玉は「板垣退助の百円札」でした

食事の後の最大のお楽しみといえば、やっぱり
「お年玉」
ですよね。
私たちの頃の相場を覚えていますか?
昭和30年代前半、小学生なら50円や100円が定番でした。
ポチ袋から出てきた板垣退助の百円札。
あのピンとしたお札の感触、小さな手に握りしめた時の重み……。
「これで何を買おうか」
と考えるだけで、胸が高鳴りました。
実は、お年玉が
「お金」
になったのは昭和30年代からだと言われています。
元々は
「年神様の魂」
が宿ったお餅(御年魂)を分け与えたのが始まりだそうです。
そう思うと、あの百円札は単なるお小遣いではなく、
「一年を生きる力」
をもらっていたのかもしれませんね。
空を見上げた凧揚げ、炭で汚れた羽つき
お年玉をもらったら、もう家にはいられません!
子供たちは一斉に外へ飛び出しました。
当時は車も少なく、道路はすべて僕たちの遊び場でした。
- 男の子:竹ひごで作った「やっこ凧」を空高く揚げる。電線に引っかけて泣いたのも良い思い出です。
- 女の子:カーンという乾いた音を響かせて「羽つき」。負けて顔に墨を塗られて大笑いしました。
手袋なんてしていなくても、不思議と寒くなかった。
鼻水をすすりながら、日が暮れるまで夢中で遊びました。
家族全員で笑った「魔法の箱」
外が暗くなると、冷え切った体を温めてくれるのは
「こたつ」
でした。
こたつの上には山盛りのみかん。
そして、当時はまだ珍しかった
「テレビジョン」
の前に家族全員が集まりました。
チャンネル争いなんてありません。
みんなで同じ画面を見て、同じところでひっくり返って笑う。
あの狭いこたつの中に、世界のすべてがあったような気がします。
まとめ!不便だからこそ、温かかった
あれから半世紀以上の時が流れました。
スマホ一つで孫の顔が見られる今は、確かに便利です。
でも、あの不便だった昭和の正月にあった
「家族の密着感」
や
「特別な空気」
は、今の時代には少なくなってしまった気がします。
皆さんの記憶の中にあるお正月は、どんな色をしていますか?
「うちはこんな御節だったよ」
「お年玉でこれを買ったよ」
といった些細な思い出に浸っているのではないでしょうか。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。