夏の夜の暑さが、かえって怪談を心に沁み込ませるものです。
これは、私がまだ駆け出しのライターだった頃、身をもって体験した、二度と思い出したくない、ある廃村での出来事です。
【第一話】鈴鳴村の伝説と、奇妙な子守唄
それは、夏の盛りの、うだるような暑い日のことでした。
私はまだ駆け出しのライターで、廃墟や心霊スポットを巡る取材記事を任されていました。
その日、私が訪れたのは、地図からも消えかけた山奥の廃村です。
村の入り口には、苔むした案内板が倒れており、かろうじて
「鈴鳴村」
という文字が読み取れました。
この名前が、後に私の背筋を凍らせることになります。
村は、かつて養蚕で栄えたと聞きましたが、今は朽ちかけた家屋と、人の背丈ほどもある雑草が、その過去をひっそりと語るだけでした。
日中はまだ陽射しがあり、それほど不気味な場所には見えませんでした。
しかし、夕暮れ時になると、一転して、村全体が濃い闇に包まれていきました。
私は、取材のために一晩だけ、かろうじて屋根が残っている家に泊まることにしました。
その家は、壁の一部が崩れ落ち、窓ガラスも割れたままで、隙間風が常に吹き込んでいました。
寝袋にくるまり、懐中電灯の光を頼りに記録をとっていると、どこからともなく、不気味な子守唄が聞こえてきました。
最初は風の音かと思ったのですが、耳を澄ますと、それははっきりと、幼い子供の声でした。
歌詞もなければ、メロディも不確かで、ただ
「ラララ、ラララ」
と、同じフレーズが繰り返されるだけの、抑揚のない単調な歌声でした。
その歌声は、私がいる家から少し離れた、古い木々が鬱蒼と茂る方角から聞こえてくるようでした。
私は、ライターとしての好奇心に駆られ、懐中電灯を手に、音のする方へ向かってみることにしました。
【第二話】鳥居の先の祠と、真っ赤なビー玉
懐中電灯の光を頼りに、私は獣道のような細い道を進んでいきました。
道の両側には、人の背丈ほどもある雑草が茂り、時折、何かが動くような気配を感じて、心臓が跳ね上がりました。
ようやくたどり着いたのは、朽ちた鳥居です。
その鳥居には、赤錆びた鈴が一つだけぶら下がっており、風もないのに、微かに
「チリン、チリン」
と鳴り続けていました。
鳥居をくぐると、その奥に、苔むした小さな祠があったのです。
歌声は、その祠の中から聞こえてくるようでした。
しかし、祠の扉は固く閉ざされており、中の様子をうかがうことはできません。
そのとき、ふと足元を見ると、真新しい、真っ赤なビー玉が落ちていました。
ビー玉は、まるで今、誰かがそこに置いたばかりのように、埃一つついていませんでした。
廃村に、どうしてこんなものが?
そう思った瞬間、歌声がぴたりと止まり、代わりに、祠の向こう側から、くぐもった、人の笑い声が聞こえてきたのです。
その笑い声は、私の心臓を鷲掴みにするように、背筋を凍らせました。
それは、子供のものでもなく、大人のものでもなく、ただ不気味に、どこか嘲笑うかのように響いていました。
私は恐怖に駆られ、ビー玉を拾うことも忘れ、一目散にその場を逃げ出しました。
【第三話】消えない痣と、新たな取材
翌朝、私はすぐに村を後にしました。
車のエンジンをかけようとしたとき、ふとバックミラーに映る自分の顔を見ると、私の頬には、ビー玉ほどの、真っ赤な痣ができていたのです。
それは、まるで誰かが指で強く押したかのように、くっきりと円形をしていました。
触っても痛みはなく、ただ熱を帯びているだけでした。
数年後、私はある老人にこの話をしました。
老人は恐ろしい顔でこう言いました。
「鈴鳴村には、昔から“鈴とビー玉の伝説”があった。行方不明になった子供が、最後に残したのがビー玉だったと。あの村でビー玉を見つけて、無事に戻れた者はいない。お前さん、よく生きて帰れたもんだ。」
私は、あの時、ビー玉を拾わなかったから助かったのかもしれないと思いました。
しかし、私の頬に残されたあの痣は、今も消えることはありません。
まるで、あの村で起きた出来事を、忘れるなと言われているかのように。
【第四話】取材ノートに残された、もう一つの真実
この話は、私の初めてのホラー記事として出版され、そこそこ好評を博しました。
しかし、私はこの話に、もう一つ隠された真実があることに気づいていました。
それは、あの夜、祠から逃げ帰った後、私が寝袋の中で書き留めていた取材ノートの一文でした。
懐中電灯の光が弱くなり、ほとんど読めないほどの殴り書きでしたが、そこには確かにこう記されていました。
「祠の裏に、鈴をつけた子供の影。笑い声は、複数の子供の声。」
私は、あの時、恐怖で完全にパニックになっていたため、その記憶を無意識に封じ込めていたのかもしれません。
そして、私の頬に残された痣も、一つではなかった。
よく見ると、うっすらと、ビー玉ほどの円が三つ、連なっているようにも見えるのです。
私は、あの夜、祠に近づいたのは、私だけではなかったのではないか、
そしてあの笑い声は、一人ではなく、複数の子供たちの声だったのではないか、という恐ろしい仮説を立てました。
もしかしたら、あの村には、まだ、帰るべき家を探して、夜な夜なさまよっている子供たちがいるのかもしれない。
そして、彼らは、訪れた人間に、遊び仲間になってくれるよう、誘っているのかもしれない。
私の頬に残されたこの痣は、私を
「仲間」
として、彼らがつけていった、一種の
「印」
なのではないか。
夏の夜になると、あの歌声と、あの笑い声が、耳の奥で蘇るような気がしてなりません。
あなたの周りにも、説明のつかない奇妙な出来事は起きていませんか?