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【正月の謎】松の内が7日と15日で違うのはなぜ?アラ還おやじが教える「なるほど!」な歴史の裏側

皆さん、おはようございます!

「アラ還おやじ」です。

お正月気分も落ち着いてきた今日この頃。

ふと近所を見渡すと、

「門松」

をもう片付けている家もあれば、まだ飾っている家もありますよね。

「あれ、うちはどっちが正解?」

「そもそも、なんで地域によって日が違うの?」

そんな疑問を抱えたあなたのために、今日は

「松の内」

の謎をスパッと解決します!

そもそも「松の内」ってなに?

まずは基本から。

「松の内」

とは、年神様(としがみさま)というお正月の神様が、私たちの家に来てくれている期間のことです。

神様が迷わないように目印として置くのが

「門松」

つまり、松の内は

「神様と一緒に過ごすお祝いの期間」

なんですね。

地域で違う!「7日」と「15日」のナゾ

昔は、日本中どこでも

「1月15日」

までが松の内でした。

これを

「小正月(こしょうがつ)」

と呼びます。

今でも、関西を中心とした多くの地域では

「15日」

まで飾るのが一般的です。

ところが、関東(東京など)では

「7日」

までというところが多いんです。

なぜ、こんな風に分かれてしまったのでしょうか?

犯人は江戸幕府!?きっかけは「火事」と「将軍様」

実は、松の内が短くなったのには、江戸時代の2つの大きな理由があると言われています。

①江戸は火事が多かったから

昔の江戸(今の東京)は、木造の家がギュウギュウに並んでいて、一度火が出ると大火事になりやすかったんです。

門松などは燃えやすい

「松」

でできています。

「いつまでも燃えやすいものを外に置いておくと危ない!」

ということで、幕府が

「飾りを出すのは7日までにして、早く片付けなさい」

という命令を出したんです。

②将軍様の命日が関係していた

もう一つの有力な説が、江戸幕府の3代目将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)さんです。

家光さんが亡くなったのが、4月20日でした。

当時のルールでは、毎月20日が

「お祝いを終える日(鏡開き)」

だったのですが、

「将軍様の命日とお祝いが重なるのは失礼だ!」

ということになりました。

そこで、鏡開きを「1月11日」に早めることに。

それに合わせて、

「鏡開きを早くするなら、松の内も1月7日までに早めちゃおう!」

と決まったわけです。

なぜ関西は「15日」のままなの?

江戸幕府が出した

「7日までにしなさい!」

という命令は、江戸(東京)周辺にはすぐに広まりました。

でも、当時は今のようにインターネットもテレビもありません。

京都や大阪などの関西地方までは、この新しいルールがなかなか浸透しなかったんです。

そのため、関西では古くからの伝統を守って、今でも

「15日まで」

としている地域が多いというわけなんですね。

まとめ!地域による松の内の違い

最後に、分かりやすく表にまとめてみました!

地域による松の内の違い
地域 松の内の終わる日 理由
関東・東北など 1月7日 江戸幕府が火事防止や将軍の命日を理由に短くしたから。
関西・四国など 1月15日 昔ながらの「小正月」の伝統をそのまま大切に守っているから。

※最近では、地域に関わらず「7日」で片付ける家も増えているみたいですから、近所の様子を見て合わせるのも正解です!

いかがでしたか?

「火事が怖かったから」

とか

「将軍様の命日だったから」

なんて、ちょっとした歴史のドラマを感じますよね。

次にお孫さんに聞かれたら、ぜひ教えてあげてください。

「おじいちゃん、物知りだね!」

って尊敬されること間違いなしです!

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